甘い罠

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バレンタインなんて大嫌いだ。 そう言っていたショコラティエが、かつていた。そんな彼が、今年はバレンタインにイベントを開くつもりだという話を聞きつけて、私と相棒のカメラマンは早速取材を申し込む。 当日、店の前に着くと、彼は集まったお客さんに無償でチョコレートを配っていた。その若さと容姿も相まってか、集まっているのは女性がほとんどのようだったが、通りすがりのご近所さんや、学校帰りの子どもたちにも惜しみなく包みを手渡している。 まさかあの彼の口から「ハッピーバレンタイン」なんて言葉が出るとは、私もカメラマンも予想だにしていなかったので、この1年でいったいどんな心境の変化があったのかと、さっそくマイクを向けてみた。 すると彼は、なんでもないことのようにあっさりと言う。 「下心ですよ」 「へえ? つまり、お店の宣伝目的ということですか?」 「まあ、間接的に言えばそうですね」 「では本当の目的は別にあると?」 「ええ。あなたに会いたかったので」 そのとき、店の二階からなにかが大量に降ってきた。見上げればスタッフが数人窓から身をのり出していて、花やリボンをクラッカーよろしく空に向かってばら撒いている。 「ハッピーバレンタイン!」 「一番好きな人には、最高に甘いチョコレートを!」 「ずっと会いたかった人には、世界で一番のチョコレートを!」 声が降る。シャッターがまたたく。彼が笑って、カメラマンに押し出された私の手を取る。 「……チョコかと思った」 「はい?」 「あなたの1番」 震える声でそれだけ言うと、彼はまたはじめて会ったときと同じように一瞬だけきょとんとした顔をしてから、よく言われますとほんのりと顔を赤らめる。そうして私の手のひらに置かれたのは、彼がつくった満開のチョコレートの花だった。
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