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「ただいま帰りました」
純和風の庭を潜り抜け、玄関の引き戸を開けながら伊織は言った。
この季節は様々な種類の花が咲き乱れており、庭は一段と美しくなる。
中からはお手伝いの女性がパタパタとやって来て彼の帰りを迎えた。
二階にある自室に入った伊織は、ふぅ、とため息をついた。
きちんと整えられた部屋。化学や数学の本。そして参考書。
高校に入学したばかりではあるが、彼にはもう次の段階を見据えて生きていく準備が必要だ。
将来のために立派な大人になり、そして恥ずかしくない人間にならなければならない。
たとえそれがどんなに面白味のない人生であったとしても、伊織には必要なことなのだ。
一番ほっと出来るはずの自分の部屋なのに、張りつめた空気がいっぱいに溢れていた。
だからといってクラスメートと話している時が彼の一番の安らぎかというと、そうでもない。
仲間たちと笑っている時でさえ緊張は続いていた。
誰にも心を許すことが出来ない。
周りにいるのは、伊織と友達になりたいのではなく、『伊織の将来』と仲良くなりたいだけの人間だ。
伊織は、そんなふうに思ってしまう自分のことがどうしても好きになれなかった。
「お坊ちゃま、おやつをご用意してますよ」
ノックとともに部屋の外から声がした。長年勤めているお手伝いのばあやだ。
「小百合さまはもうお召し上がりになられて、お友達と遊びに出られました」
「ありがとう、僕もすぐに行きます」
『小百合』というのは四つ下の妹である。
まだ小学生ではあったが、彼女もお花を習わされたりと色々大変そうだなと伊織は思っていた。
今日は習い事の無い日で友達と遊びに出かけたと聞いて、兄として何だかホッとした気持ちになった。
友達と遊んでいる時の妹は笑顔で子供らしくて安心する。
(あの子も……いつもにこにこ笑ってるなぁ)
ベッドに寝転び、天井を見つめながら伊織の脳裏に浮かんでいたのはさやかの顔だ。
占いなんて非科学的なことなのに、彼女の導き出した答えには誰もが笑顔になり、さやか自身もいつもにこにこ嬉しそうなのだ。
だからといって口から出まかせを言っているわけでもなさそうで、さやかの占いが当たったという話は方々から聞こえてくる。
根拠のない話のはずなのに不思議でたまらなかった。
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