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ひとりは背が高く、眼鏡をかけ清潔そうな身なりの男。
もう一人は中背で、妙に歩き方が綺麗で裕福そうな雰囲気の男。
背が高い方は、おそらく蜂谷薫。
自分と瑛のそばを常にうろついていた男。
高校卒業以来会っていなかったので背格好に若干記憶とのずれがあるが、わかる。
そうか。
こいつはまだ瑛のナイト気どりを続けていたのか。
蜂谷は最初から、あからさまに瑛を欲しがっていた。
しかし鈍感な瑛に全く相手にされず、仕方なく親友とやらを演じていたはずだ。
だが陳腐な志にこだわりすぎて未だ指一本触れられていないことも、大我は瞬時に悟った。
馬鹿なやつ。
慰めるふりでもなんでもいいから、さっさと抱けばよかったのに。
おかげで、まっさらなままの瑛を俺はまた存分に楽しむことができるけれど。
安くてちっぽけな同情と大きな優越感が大我の身体をひたひたと満たしていく。
「うわ。今きみ、蜂谷ってバカだな~とか思ったよね。その通りなんだけど、それ考えた時点で君も同じだからね」
気付くと、見知らぬ男が驚くほどちかくに間近に立っていた。
年上のようだが、まとう空気が瑞々しい。やわらかく波打つ黒髪は襟足から顎にかけて切りそろえられ、漆黒の瞳から驚くほど強い光が宿り、鼻筋も唇も理想的で精緻な面差しでとてつもなく美しいことに今更気づいた。わずかな微笑みからかおる滲み出る例えようもない色に大我は一瞬目を奪われる。
「初めまして、志村大我。東京へようこそ」
すっと手を差し出され、無意識のうちに握手に応じた。
軽く羽で撫でられたように力のない、あきらかに形ばかりの挨拶。
でも、一瞬の接触に何かがひそかに大我の体を走り抜けたように感じた。
・・・今のは、何だ?
「拠点をニューヨークに移して以来全く戻らなかった筈なのに、いったいどういう風の吹き回し?」
軽くて甘ったるい声色と馴れ馴れしい口ぶりの中に棘を感じ、不快な思いが胸を占めた。
「あんた・・・・。どっかで・・・」
「んー。どっかでもなんも、僕、きみの大先輩なんだけど。敬うとかってないの?」
「は?」
「今はこういう仕事をしていますが…」
すっと目の前にかざされた白い手の、綺麗にそろえられた指先にはさまれているのは小さな紙片。
差し出されたそれを受け取り、眉間にしわを寄せて文字列を読み上げる。
「オフィス宮坂・・・。ブランディング・プロデューサー、宮坂誉?」
ブランディングプロデューサーという仕事を知らないわけではないが、宮坂なんて名前は全く記憶にない。
「えー?知らないの?うーん。僕ってまだまだなんだね。仕方ないな、ヒントをもう一つ。二十歳ちょっとくらいまでは『稀(まれ)』って名前で君と同じ仕事していたよ」
大我は現在、国際的なモデルとして欧米でそれなりに活躍している。だが、パリでもミラノでもこの男に会った覚えはない。もっとも、ショーモデルは流行りも入れ替わりも激しく、その寿命は短い。
だが、『稀』という名前は。
「・・・あんたMAREか!」
『マレ』は伝説のモデルだ。
身長は175センチと普通ならば欧米では通用しないと言われた体格だったにもかかわらず、その優美さと存在感は圧倒的で、名だたるメゾンの誰もがスチールに使いたがった。
彼が身につけた衣装やアクセサリー、そして宣伝した香水は飛ぶように売れ、東洋系で成功した男性モデルの第一人者と称賛された。
「気づくの遅すぎ」
やわらかな笑みをたたえた美しい唇に、つい視線が釘付けになってしまう。
しかし病気療養を理由に『稀』は突然モデル業界から去ったはず。
「仕方ないだろう。あんたが降板した時、俺はまだ中学生だったんだ」
大我が知人の勧めでモデルの仕事を始めたのは十七歳になってからだ。『稀』の仕事ぶりを古い雑誌や映像で見たことはあったが、それはリバイバル映画を見るのとかわらない。ただし先人として尊敬していたので、記憶には残っている。
「あいたたた。言うなあ」
芝居がかったしぐさでおどけて見せても、確かに彼の優雅さは『稀』そのもののように思えた。
「だけどなんで、『稀』がここに」
夏川瑛との、六年ぶりの再会の場に。
はっとあたりを見回すと、なんと瑛はいつの間にか少し距離を置いた場所に立ち、まるで他人のような顔をして蜂谷と一緒にこちらをうかがっている。
「おい、瑛・・・」
「・・・君、ほんっと何しに来たんだろうね」
宮坂の呆れ声にまたしても足止めされた。
「・・・なんだと」
「瑛は、僕の部下だよ。それこそ君が瑛をつまんでポイする前からね」
「は?」
「・・・ははは。鳩が豆鉄砲って、こんな顔なんだなあ」
「・・・っ!」
「まあまあ、こんなとこで立ち話もなんだし」
ひらひらと、白いかけらが落ちてくる。
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