エピソードタイトル未定

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 表情がわずかにこわばっているのに気づいてしまった。 「そうかあ。今日の俺は臭うかあ」 「蜂谷」 「最近、色々お試し中なんだよね。ボディソープとか、シャンプーとか。あ、柔軟剤もだな」  饒舌になればなるほど、自分が何かまずいことを言ったのだと解る。  嘘だ。  多分、何も変えてなんかいない。 「ねえ、瑛。・・・ちなみに俺ってどんな匂いなの?」  問われて一度深く息を吸ってみる。  包み込まれるこの感覚、そして香り。 「・・・森?」 「森」 「なんていうか・・・。木とか葉っぱとかそんな感じ」  蜂谷がせわしなく瞬きをしている。 「・・・それって。・・・瑛にとってさ。やな匂い?」  浅い呼吸。  緊張してる? 「いや・・・。むしろ」 「むしろ?」 「なんか・・・。なんか落ち着く…かな」  口にして、腑に落ちた。  ああそうか。  落ち着くんだ。 「そう?」  自分とは逆に蜂谷はますます落ち着きのない様子になった。  意味もなく、サイドテーブルの上に置かれたものを右に左に動かしている。 「うん。森林浴してみるみたいな?・・・たぶん」  インドアな自分のことだから、森林浴なんてほとんど経験がない。  ただ、幼いころに両親と一度だけ行った避暑地の記憶が急によみがえった。 「そうなんだ・・・」  口に手を当てて、蜂谷は横を向く。  露になった耳が、朱い。 「蜂谷?」 「うん、ごめん。体調落ち着いたなら、そろそろ帰ろっか」  今更気付いたが、もう腕に点滴の針は刺さっていなかった。 「悪い、今、何時?」 「まだ七時になるくらいだよ」 「そんなに経ってたのか・・・」  倒れる直前に見た時計は二時を半ばすぎたころだったはず。 「浅利さんはまだ診察やってるから、十時くらいまで眠らせていいよっては言ってたけどね」  この診療所は彼女以外に交代制の医師がいて、朝は八時から夜の九時まで開院している。  ドアの向こうの廊下から人が行き交う気配を感じた。 「いや、もう大丈夫だから」  起き上がると、自分でも驚くほど身体が軽かった。  外して保管してあった時計を受け取り、腕に着ける。 「点滴のおかげかな・・・。本当に、ここのところ具合悪かったのが嘘みたいだ」 「そうか。よかった」  我ながらのんきなものだった。  その軽さすら予兆と気付かずに。    体調は回復したと何度も固辞したけれど、心配だからと蜂谷は部屋までついて来た。 「本当に、大丈夫だったのに・・・」  自分の家なのにソファーに座らされ、さらにお茶まで入れてもらい、ついため息が出た。 「お節介すぎてうっとうしい?」 「いや、そんなことは・・・」 「ああよかった。うざったいとか言われたらどうしようって、一瞬おびえたよ」  さらりと明るく流されて、どう答えればいいかわからない。  ここは宮坂が社宅として用意してくれたもので、通勤にかなり便利な上に環境も快適だった。もちろん蜂谷を含めた他の同僚も同じ建物に住んでいる。  ただ、強靭と言い難い自分が体調を崩すたびに蜂谷が何かと面倒を見てくれるので、本当に申し訳ないと思う。 「ところで、今から食べるものってあるの?何もないなら俺が作ろうか?」 「いや・・・。あるから」  正直、冷蔵庫の中はほぼ空っぽだ。  ずっと食欲がなかったせいもあるが、近くにコンビニがあるのでついつい不精してしまった。  でも、蜂谷にこれ以上迷惑をかけたくない。  なによりも自己管理能力のなさを今更痛感し、いてもたってもいられないほど恥ずかしくなった。 「いいから・・・」 「でもさ・・・」  蜂谷が冷蔵庫に手をのばしたその時、ちょうどインターホンが鳴った。  しかもこれはゲートのチャイム音ではなく、玄関だ。  すぐそこに誰かがいるということで。 「来客の予定があったのか?」  同じ建屋に住む同僚たちで蜂谷以外に尋ねて来る者はいない。 「・・・いや」  顔を見合わせている間に、いきなり扉が解錠される音が聞こえた。  ここはかなり厳重なセキュリティを施された最新式のマンションと聞いていたのに。 「・・・なんで」  蜂谷が険しい顔で踵を返す間もなく、ノブが動いて女性が入ってきた。 「母さん・・・」 「あら、瑛。いたのね。応答ないからいないのかと思って勝手に入ってしまったわ」  母にスペアキーを渡していたのをすっかり忘れていた。 「いきなりどうしたんだよ、母さん。来るって聞いてない」  蜂谷のいる手前ついぶっきらぼうな物言いをしたが、母は気にした風もなくずかずかとリビングに入るなり、テーブルの上に大きな荷物をどさっと音を立てて置いた。 「ええそうね、ごめんなさい。ただ、夕方に晩御飯作っていたらふと、ね。瑛の体調が悪いんじゃないかと閃いたの。だから気になって来ちゃったわ。熱があるんじゃないの?今」
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