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だけど、彼女の態度の急変の理由はそれとは少し違う気がする。
「腑に落ちないんだよ。いきなりがーんって玄関の扉が開いて、熱あるでしょって言い当てて、私がついてるから蜂谷君は帰って!追い払われるのって・・・。まるで」
「・・・お見通しにもほどがあるね。母親の勘とかいうレベルじゃない」
まるで、透視能力でもあるみたいだ。
「そう。それ」
蜂谷が身を乗り出したところで、彼の携帯が鳴った。
「・・・瑛だ」
画面上では。
だが、このタイミングでの着信は気味が悪すぎる。
「はい、蜂谷」
短く応えると、回線の向こうで小さく息をのむのが聞こえた。
『・・・はちや』
聴きなれた、そしてどこか心細そうな声に、つい深いため息が出た。
「・・・あ」
瑛が、委縮している。
悪いことをしてしまった。
「ああ、ごめん、瑛。正直、おばさんからの電話だったらどうしようと思って」
『蜂谷、さっきは母さんが失礼なことばっかり言ってすまない。今、風呂に入ってもらっているから電話した』
こそこそと隠れて連絡してくるなんて。
看病されているというより監禁されているように見えるのは、蜂谷の心象のせいだろうか。
「気にしてないよ。おばさんは瑛のことが心配なだけだろうから」
口先だけの嘘なんて、瑛は見抜いてしまうだろうけれど。
『本当にすまない。・・・それと明日、午前中だけ休みを取りたいんだが。・・・良いだろうか』
ためらいがちの言葉に瑛のため息が混じった。
「・・・いいよ?そもそも熱があるんだから明日まるまる休んで良いと・・・。宮坂さんもそのつもりみたいだけど」
向かいで様子を見ていた宮坂が大きく首を縦に振る。
『宮坂さんがそこにいるのか』
「うん。替わろうか」
『悪い』
電話を替わると、宮坂が明るい雰囲気を装い話しかけた。
「瑛?話は聞いているよ。うん。そうか。分かった。気にしないで一日休んで。仕事は蜂谷が見るからさあ」
へらへらとたたみかけるような軽い調子に、瑛の気持ちも少しはほぐれてきているように見える。
「・・・点滴?ああ、あの時、瑛はもうろうとしていたからね。・・・お母さんが?」
ここで一瞬、宮坂の表情が曇った。
「うん・・・。うんうん。そう・・・。そう。・・・へえ、そうなんだ。わかった」
瑛の話にうなずきながらも、彼は何か別のことを考え始めている。
「まだ浅利さんも看護師さんもいると思うから、その辺聞いて折り返しメールする。うんうん、たいしたことないから。大丈夫」
なだめつつ、さらりとつなげた。
「で、明日行く病院って実家に近いの?あーそう。そんなに前から。なら安心だね。ゆっくりしておいで。熱が下がるまで出てきちゃだめだよ?」
無駄な会話の中に、知りたいことを軽く取り混ぜるなんて朝飯前だ。
「じゃあ、宮坂がご心配おかけしてすみませんと謝っていたとお母さんに・・・いやいや。ちゃんとよろしく伝えてね?」
ある程度考えがまとまったのだろう。
宮坂の唇がにいっと上がった。
「じゃあ、おやすみ。蜂谷は俺が今からたっぷり、なめるように可愛がっとくから気にしないで。ああそうだ。ほんとに舐めていい?蜂谷」
「な・・・」
蜂谷が立ち上がると、身体をくの字にまげて元モデルは笑いをこらえている。
今の状況をかなり楽しんでいるらしく、肩がふるふると震えていて、本気で頭にくる。
「・・・ごめんごめん。冗談だって。瑛が怒れるぐらい元気になったなら安心したよ」
電話の向こうの瑛が何を言ったのかもすごく気になるが、それが宮坂の作戦の一つなのだとこらえた。
「・・・ではお大事にね」
静かな声を落として会話を終えた宮坂を蜂谷は見据えた。
「・・・で。何か気にかかることがあるんですね、社長」
「うん。まずは、点滴だね」
「は?」
「浅利さんがさっき瑛にわけのわからない点滴したことにお母さんがご立腹で、本当に大丈夫なのかかかりつけの病院に行くまで出勤させない・・・って言ったみたい」
「それって・・・」
「うん、度を越してるね。寝不足と軽い栄養失調で倒れた二十五歳の息子が病院で診察を受けたうえで点滴してもらって見た目には回復しているのに、その成分教えろって怒り出す母親って。就職した時に病歴も持病もないと申請して、健康診断も毎年異常なし。そもそも瑛が言うには、蜂谷が出ていくなり点滴の話を追求しだしたって。お前、お母さんの前で瑛を治療したこと言ったの?」
蜂谷は丹念に瑛の家に着いてからのことを思い出す。
「いや・・・。そもそも俺、ずっと無視されてたんですよ。しかも瑛もなかなか口がはさめないくらいおばさんのターンだった」
「だよね。瑛もなんでって思ってる風だった」
そういうと、蜂谷の弁当の袋を手に立ち上がる。
「え・・・。ちょっと宮坂さん」
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