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「浅利さんのとこで食べて。今日は遅くなるよ」
すたすたと歩きだした宮坂の後ろを、蜂谷は慌てて追いかけた。
「あー。そういう話かあ。そうきたかあ。なんかそれって・・・」
「うん」
「・・・今夜は帰さないよって感じ?」
「うん。今夜は帰さないよ、美津」
「やーねえ、もう。誉ってほんっと悪い男よね」
腹を抱えてげらげら笑いだした二人に、蜂谷は唖然とした。
そこそこ深刻な話をしていたはずなのだが、最後は芝居がかった掛け合い漫才で締めくくられ、冷えた弁当をつっつく箸も止まるってものだ。
「あの。俺、帰ったほうが良いですか」
「何とぼけたこと言ってんの。ゆるい会話で暇つぶしながら蜂谷が食べ終わるまで待ってあげてんじゃん、僕たち」
浅利の医院の最奥にある会議室で、三人で話を始めて十数分。
実はこの会議室にはけっこうな仕掛けが施されていて、ここに鍵をかけてこもっているということは、かなり重要事項だということだ。
「・・・俺、なんか食欲ないみたいだから、もういいです。ごちそうさまでした」
「あっそ。・・・じゃあ、そろそろ本気出そうか」
そう言うなり、宮坂の表情がさっと変わる。
三人それぞれの前には、ノートパソコンがすでに用意されている。
まずは、宮坂が画面から電話をかけた。
「うん、お疲れ様。今から調べてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
彼の人脈は素人の蜂谷には想像の及ばないくらい広い。
そして、時と場合によっては法に触れることも決していとわない。
だからこそ、蜂谷は宮坂の部下であり続けている。
いずれ宮坂の力が必要になる時がくるかもしれないと思っていたからだ。
でも、半分は軽い備えのようなものだったのだ。
自分はまだまだ甘かった。
まさか今、こんな状況を迎えるとは想像できなかったのだから。
ネット通話を聴きながら、何かを理解したのか浅利もキーを叩き始めた。
「保険番号は今転送した。それの通院歴で一番件数の多いやつ。たぶん吉祥寺…。違う?八王子?へー。それで、なんていう病院?そうかうん、わかったありがとう。また近いうちに頼むことが色々あると思うからよろしく」
回線を閉じるなり、宮坂は一言告げた。
「八王子の筒井総合病院」
「看板はフツーの総合病院だけど…。あそこの医院長、バース研究こっそりやってるわね」
バース研究。
幼いころからそこに連れられて行っていたというならば。
「母親、もしくは両親であの子のバース属性を疑っていた可能性があるわね」
「疑っていたんじゃなくて、期待しているんだろう今現在も」
「でも、両親はベータよね?しかもかなり強固な」
「ああ、それは間違いない。蜂谷もそう思っただろう?」
「・・・ああ。うん」
この三人の中で、瑛の両親と一番接触があったのは蜂谷だ。
事例がないわけではない。
ベータの両親から貴種が生まれることは。
しかしそれは家系をたどるとどこかに貴種の因子の者がある場合がほとんどだ。
夏川家の人々はある意味稀と言っていいくらい純粋なベータ同士の血統だと、会うたびに感じていた。
「それなのに、どうして瑛だけベータじゃないと確信してるんだろう?」
瑛を溺愛していた両親。
父親が転職して地方から上京し、暮らし向きはつつましいものだった。
ごくごく普通の中流家庭。
だけどそこそこ裕福な家庭で生まれ育った蜂谷からは、正直なところかなり背伸びしているようにも見えた。
高額な学費のかかる超難関校に入学させ、そこに通う生徒たちに見劣りしないように全てを誂えやりくりするのは大変だっただろうと、社会人になった今は思う。
多少の過干渉も期待も身の丈に合わない生活も、瑛が綺麗すぎるからだと蜂谷は勝手に納得していた。
だけど、これは。
「点滴にまで目くじら立てている時点で、答えは出ているわね」
おそらく、筒井氏に関する情報を引き出している最中の浅利は結論付けた。
「まず、瑛は夏川夫妻の実子ではない」
これが、瑛も知らない真実。
「次に・・・」
自分たちは、パンドラの箱をあけて覗き込んでいる。
真っ暗で、逃げ出したくなるほどの深い闇。
「夏川夫妻は瑛のバース特性の覚醒を強く望んでいて、それを促すために幼児のころから病院に通わせていた」
浅利の処方した点滴に副作用を起こす成分があるならば。
それまでの治療方針にずれが生じる。
もしくは最悪、瑛自身に異変が起きるかもしれない。
「それだけじゃないよ」
宮坂が口をはさむ。
「おそらく、瑛は監視されている。ヒートの瞬間を見逃さないために」
夏川夫人は知っていた。
今の瑛の体調と、手当てされた詳細を。
だから慌ててとんできて、まずは蜂谷を遠ざけた。
なにを仕掛けていたのかはわからない。
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