第五章 初仕事

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第五章 初仕事

 翌日、堺は出勤してこなかった。共通理解として通達されたのは「命令無視」と「謹慎処分」のみだった。大和に関しては始末書のみ。源次郎も書く羽目になりぶつくさ文句を言っていた。もちろん代筆は大和だ。  書き上げたものを角野へ提出しに行く。 「もうマルさんに怒られただろうから僕からはしつこく言わないよ。でも一応これだけは伝えておくね。今後一切こういうことがないようにして」  角野もマルに指導面に関してかなりのお咎めをもらったのだろうか、頬がやつれていた。 「すみませんでした」 「うんうん。春市君は今後に期待しておくよ」 「部長は?」 「マルさんは堺君の家に行ってるよ」  堺がどんな目に遭っているか想像できる角野は同情の目を窓の外に向けていた。 「俺は今日から誰と仕事をすればいいでしょうか?」 「切り替えが早いですね。感心します。こんな精神的に参っているときに申し訳ないのですが……」  角野は一枚のメモを渡した。そこには「特殊警察部取調室」と書かれ、その下には住所が記載されていた。 「ここに行ってもらえますか?」 「はい。佐賀さんとですか? それとも加々美さんと?」 「ゲンさんとですよ」 「もちろんゲンさんは連れて行きます」  角野と妙にずれる会話。一度目を瞬いて、大和はその意味に気がついた。 「もしかして今日から俺ひとりですか?!」 「ええそうです。春市班の初仕事ですよ。ちょっと厄介ですが、人手が足りないのでお願いできますか?」  とうとうバディのみとの初仕事。大和の手のひらには汗が滲んでいた。  さっそく一人と一匹は特殊警察部取調室が設置されている場所へ向かった。そこは本部のすぐ近くで徒歩で行ける距離。  大和は迷った結果…… 「これ……」  源次郎に公務獣用のベストを差し出した。リュックに入る気満々でいた源次郎は真っ黒な目を細め、短い手足を通した。公務獣用のエレベーターに乗りロビーへ。警察官の視線を痛いほど感じながら二人は並んで歩いた。時折大和のスピードが変わるが源次郎は無理に合わせなかった。気を遣い少し後ろを歩いた。大和は前だけを見据え、それに気づいていない。周りの視線もなにもかも視界に入れず歩き続けた。それでも大きな進歩だと、源次郎はふさふさのしっぽを小さく振った。  特殊警察部取調室はこじんまりとした警察署のようだった。特殊警察部の取調課という特殊な部所の管轄だ。怪奇現象に関わった人間の取調を主としており、それは人間だけでなく霊体や妖怪も対象とされるため、唯一公的機関で結界の張られていない場所だ。幽霊係も取調が必要の場合はここで行う。交番よりは大きく三階建てで、有刺鉄線とフェンスで厳重に囲まれており、窓には縦面格子が施工されている。  受付で名前を告げると、制服姿の年配の男性警察官が「待ってました」と言わんばかりに顔を上げたが、すぐに怪訝な顔をした。 「若いね」 「はあ……」 「困ったな。この案件は角野係長に任せたいのに」 「角野さんは今取り込んでまして」 「そうか。なら加々美さんとか」 「加々美さんは本日別の職務に」 「……それは……まあ、君でも一応幽霊係の人間なわけだし武道には長けるか」  力を必要とする仕事なのかと大和の筋肉が張った。特殊警察部の武闘派は幽霊係であるというのは、部内の共通認識だ。 「とりあえずこっちに来てくれる? 第三取調室。ちょっと厄介な相手でさ」 「暴れてるんですか?」 「いや、それはまだ。でもそろそろ暴れそうなんだよね」 「相手は人間ですか? それとも──」 「人間じゃないんだけど、幽霊でもないし、妖怪とも違うんだよなあ。一応最初に妖怪係に来てもらったんだけど「こういうのは幽霊係に!」って婦警さんが逃げちゃって」 「逃げた?! 警察官なのに?!」 「いや、あれは逃げると思う。今も男三人で見張ってるし」  大和は足が止まりそうになったが、源次郎に尻尾でひっぱたかれた。 「はい、ここ。あと頼んだよ!」  そういうと、その警察官はそそくさと逃げた。扉を開けるのが怖い。だが、ようやく独り立ちしたのに、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。  意を決して、大和は扉を開いた。 大和が挨拶をする前に、大和と足元の源次郎の姿を見た瞬間、警察官三人が同時に立ち上がった。ようやく幽霊係が来たと安堵の表情を浮かべていたが、やはり若すぎる姿に一人は眉間の皺を深くした。だが、もうここから離れたいとぞろぞろと席を立ち、大和に「調書はデスクの上ね!」と告げ出て行った。  扉が閉められ、大和は取調を受ける男の背中を見つめた。長い布を肩から纏っており、髪の色は日本人ではあまり見ないダークグレーだ。ゆっくり回り込むと、横顔でもわかる外国人特有の堀の深さと、刻まれた皺は年配の証。顔は白く、体調が悪いのかと思ってしまう。外国人の取調、一見そう思われたが、大和はある場所を首を伸ばして凝視してしまった。  耳輪が尖っているのだ。 「こんにちは、貴公も警察官かな?」  取調室に心地よく発せられるバリトンボイスと丁寧な言葉遣いは貴族や紳士を思わせる。しかしそれを発した口から覗くのは長い犬歯。前から見た服装はモーニングに似た格好。だがところどころ赤や金色の刺繍がしてある。  人間とも日本人とも思えない風貌。それどころか現代味すら感じさせない。耳と牙の特徴から大和は一つの答えを出した。 「貴方、吸血鬼ですか?」  ゆっくりと男は頷いた。 「左様。こちらではそう呼ばれているようですな。紹介が遅れました」  男は立ち上がった、身長は二メートルを超えている。 「私はグリアローザ。爵位は伯爵。人間ではなくバンパイアでございます」  紳士の微笑みから覗く立派な牙。  大和の初仕事はバンパイアが相手だった。
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