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「認知もしなかったくせに、博嗣は毎夏、百合乃さんとお母様を別荘に呼んでいたのですよ。妻や妻の子がいるというのにね。彼らの思惑は存じませんが、百合乃さんは私とよく遊んでくれました。私にとって、百合乃さんは夏にだけ会える姉様だったのです。……姉様と呼べば、博嗣にぶたれましたが」
やはり彼の声は雪だ。博嗣と発する声は痛いほどに冷たい。それが百合乃の名を呼ぶときはふわりと溶ける。
「……いつ頃からか、別荘にいらっしゃらなくなってしまいました。ご連絡しようにも、私には百合乃さんの苗字さえ伏せられていたのです。彼女を探すことを両親は酷く嫌がりましたし、私も海外に長くおりまして、なかなか思うようには…………すみません」
苦しげに言葉が途切れた。諒はふたたび視線を伏せ、ティーカップへと指を伸ばした。だが、長い指は縺れて持ち手を取りきれず、磁器と磁器がぶつかる冷たい音が不恰好に響いた。
「四年前に父が他界して、遺品から苗字がわかりました。手を尽くしてようやく先日、百合乃さんが見つかったと聞いたのですが――……」
見つけたときには、姉は棺の中だったというわけか。
あの日の諒の様子に、やっと納得がいった。
母の、弟。
あの日、母の死を悲しんでいた家族がもうひとりいたのだ。
白くきらきらとしたなにかが胸に広がって、唇が細かく震える。
――嬉しい、の?
わきあがる感情に戸惑いながら、ゆっくりと自覚する。
ひとりきりでなくて、嬉しい。
ずっと、ずっと、心細かった。怖かった。
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