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「なにかありましたら、遠慮なくお呼びくださいませ。それから……」
彼女はエプロンのポケットから、塗り薬と薄い絹の手袋を抜いた。
「手荒れのお薬です。よろしければお使いください」
「なにもかもありがとうございます。森下さん」
沙璃は心から頭を下げた。細やかな気遣いがどれだけ心強かったか。
「どうぞ、森下と。おやすみなさいませ、十和田様」
そっけなくも聞こえる声で言って、彼女は膝を折るお辞儀をした。
ひとり部屋に残されて、沙璃は真っ先にM寸のミュールを脱いだ。痛む足を室内履きに通して、意味もなく部屋を歩きまわる。
玄関や食堂と同様に柱や梁型をあらわにした英国伝統様式の造り。だが、木パネルは腰の高さまでで上は薄青の漆喰壁になっており明るい印象がある。扁平アーチを持った暖炉はやはり美しい透かしの入った目隠しで覆われていた。その上に置かれた青磁の花瓶ではミルク色の大輪の薔薇が堂々と咲き誇っている。お城みたいだなんて頭に浮かんで、貧困な想像力にひとり呆れた。
分厚いカーテンを捲ると、眼下には暗い庭が広がっていた。さやかな月光に枝を広げた樹木やうねる蔓薔薇が不気味な影として浮かぶ。
――母さん、あなたの弟に会ったわよ。
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