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序章
女が走っていた。
繁華街の灯と灯の間を。ひととひととの間を。影を踏み陰を抜け、一心に。
背が高く、ストライドの広い女だった。踵の高い黒のパンプスを履き、白のシャツに黒のタイトスカート。ウェイトレスの服装だ。捲れたスカートの下からカモシカのような長い脚が露になり酔客の目を引いた。だが、彼女は気にした様子もない。急いでいた。一歩でも前に出ようとしていた。
と、その躯ががくんと沈む。短い悲鳴とともに彼女は蹲った。
白く長い指が足首を探る。パンプスの踵がぽっきりと折れている。
なにごとか叫んだ。悔しげにかぶりを二度振って、深く俯くと高く低く呻く。結いあげていた髪が解け、うねりながら肩へと滑り落ちた。
上げられた横顔をネオンの灯が蒼く照らす。
彼女は嗚咽をこらえるように息を飲むと、乱暴な仕草で両方のパンプスを脱いだ。そして壊れたパンプスを手に立ちあがると、ストッキングで駆けだした。駆けないわけには、いかなかった。
いまさっき、彼女の母親が死んだのだ。
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