Ep.2 共鳴―〈α〉の残光―

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 そして、翌日の放課後。  俺は津上先生に会うため、理科準備室へと赴いていた。  これからも異空災害に関わっていくつもりだと、改めてちゃんとした形で伝えるためだ。  異空災害の存在を知ってから、ここへ足を運ぶ機会も随分と増えた。  埃っぽさや薬の臭いにも多少は慣れたつもりだけど、今日は何やら香ばしい香りまで混じっている。  おそらく匂いの元は、津上先生がたびたび飲んでいるというインスタントコーヒーだろう。あの人が理科準備室を半ば自室のように使っていることと、やたらと濃いブラックコーヒーを好んでいることはそれなりに有名な話だ。  逆に言えば、それ以外――例えば趣味だとか、どの辺りに住んでいるのかとか――に関しては、全て謎に包まれているのだけど。  「……お前の気持ちは、よく分かった」  深い息を一つ吐いて、津上先生が頭を掻く。大きく伸びをした拍子に、古い事務椅子がギシギシと悲鳴を上げる。  そんな津上先生とは対照的に、俺は緊張のあまり体を固くしていた。  背筋を伸ばして顔を津上先生に向けたまま、俺はちらりと隣を盗み見る。   「本当に、いいんだな?」  津上先生は気怠げながらも、鋭さと重みを感じさせる声で問いかける。  その目線は、俺ではなく……俺の傍らに立つ人物へと、向けられていた。  「はい」  美代は細く息を吸い込み、はっきりと答える。小振りな頭がゆったりと縦に振られ、左側で纏めた髪がさらさらと滑らかに揺れる。  ……本当は、美代と一緒に来るつもりなんてなかったのだけど。  どこかで聞きつけたのか、あるいは昨日の話から予測されてしまったのか。  理科室の前に着いた瞬間、俺は待ち構えていた美代に捕まってしまった。  「個人的な感情で、みんなを振り回しちゃったんだもの。責任はしっかり取らないとね」  そう言って一歩も引かない美代に、「俺は全然気にしてない」と何度も伝えたのだけど……結局俺のほうが折れることになり、二人で津上先生と話すことになってしまったのだ。  「丈瑠」  津上先生の声で、俺は我に返る。おもむろに椅子から立ち上がった津上先生に、一瞬ながらびくりと肩が震えてしまう。  「お前たちの役目は、異空間に取り込まれた人間を救い出すこと……。だがな、全員が無事に帰ってこなけりゃ、成功したとはとても言えねぇんだ。お前たちも含めてな」  軋む椅子を背に、津上先生は一歩前へと踏み出す。骨ばった大きな手を、俺に向かって差し出してくる。  「だから、絶対に無理はすんな。何があっても、必ず生きて帰って来い。いいな?」  「……はい」  俺は大きく頭を縦に振って、津上先生の手を強く握った。少しだけ硬い皮膚の感触と、控えめな温もりが手の平に伝わってくる。少々痩せ気味で骨張った感触が、積み重ねてきたものを感じさせる。  「……さて」  手を解き、大きく伸びをしてから、津上先生は深い息を一つ吐く。  「お前の“エクセルセイバー”について、色々説明しとくべきだとは思うんだが……正直に言うと、あれに関してはほとんど理解出来てねぇんだ」  津上先生が俺の手を離し、再び椅子に腰を下ろす。  「この間話してた“イリス”とかいう犬が、多分お前の固有装備みてーなもんだとは思うんだが……他の奴らとは、あまりにも違い過ぎてな」  「固有装備?」  「私の、バイクみたいなもののこと。でも……」  美代が説明を付け足してくれたものの、あのバイクとイリスが同じと言われると違和感が拭えない。  見た目は機械寄りではあるけど、イリスは明らかに意思を持っている。どう考えても装備というよりは、生き物と呼ぶべき存在のはずだ。  「他の奴らのは、全部乗り物や機械っぽい見た目をしてんだよ。生物の姿で、しかも明確な意思を持っているなんてのは前例がない。……そもそも、どうしてお前があいつの名前を知っていたのかも気になるしな」  そういえば、頭の中に浮かぶ不思議な映像のことはまだ誰にも話していない。今後も同じことが起こるかもしれないし、話しておくべきだろうか……。  「あの、そのことなんですけど――」  「失礼します」  不意にドアが開いて、どこかで聞いた覚えのある男子の声がした。  声の主の顔を思い出すよりも早く、誰かが準備室へと入ってくる。
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