Ep.3 覚醒―昏き呼び声―

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 「こいつの親父とは、結構長い付き合いでな」  ぽんぽんと俺の肩を叩きながら、松ノ木さんは上着を肩に担いで俺の脇を通り抜ける。そのまま理科室の中へと踏み込んでいく大きな背中に、俺や美代たちも続いていく。  「おーい、起きろ新崎(しんざき)」  松ノ木さんが机の上に倒れ込んだ背中を叩くと、新崎と呼ばれた男の人は前に突き出した腕をもぞもぞと動かした。くぐもった呻き声とともに、突っ伏していた頭がむくりと起き上がる。  「……ん?」  頭がゆらりと傾いて、まだ開ききっていない目が俺たちを捉えた。短く整えられた黒髪はあちこちが跳ねてしまっているし、シンプルなグレーのTシャツは裾の部分にいくらか皺が寄っている。  「こーら」  松ノ木さんが机の上のペットボトルを掴み、新崎さんの首筋に押し当てた。意外と冷えていたのか、新崎さんはびくりと肩を震わせ飛び上がるように身体を起こす。  「昨日はバタバタしてたし、しんどいのも分かるけどな。挨拶ぐらいはちゃんとしとけよ?」  松ノ木さんの手を肩に置かれ、新崎さんは素早く首を左右に振った。跳ねた髪を素早く両手で撫でつけると、椅子に座ったまま背筋を伸ばして顔をこちらに向ける。  「……新崎(かえで)、です。……どうも」  何故か俺たちから目を逸しながら、新崎さんはぼそぼそと小さな声で名乗った。頭を少し動かしただけなのに、撫でつけたばかりの髪が元の位置まで跳ね上がる。後に続く言葉はなく、俺たちは黙って頭を下げる。そこからどうしたらいいのか分からなくて、辺りに微妙な空気が立ち込める。  「おいおい、そんだけか? せっかくの機会なんだし、もっと色々語ることあんだろ。ほら、好きな女の子のタイプとか」  「そんなの子どもに話してどうするんですか……」  少し怠そうな声で新崎さんが言うと、松ノ木さんは大げさなため息をついて額へ手を押し当てた。  「ちっ、面白くねーなぁ。そーいうとこは上司に似なくていいんだよ。な、丈瑠もそう思うだろ?」  「え? えーっと……」  急に話を振られ、俺はどう反応したらいいのか分からずに目を泳がせる。新崎さんの上司のことなんて、俺には分かるはずがない。  「何でその子に振るんです――」  新崎さんの声が何故か途切れる。どうしたのかと表情を伺うと、口を少し開けたまま身体を前に傾けて、食い入るような眼差しを真っ直ぐ俺に飛ばしていた。初対面の人に対してこんなことを思うのは失礼かもしれないけど、なんだか少し気味が悪い。  「一条って……いや、まさか」   難しい表情をしながら、新崎さんがぶつぶつと何かを呟いている。そういえば親父も同じ職場にいるんだから、俺の姓に見覚えがあっても不思議じゃない……。  そう思った時に、頭の隅で何かが引っ掛かった。確か松ノ木さんは校内に入る前、つまり俺が教室前で見下ろしていたときも、新崎さんの上司について少しだけ話していた気がする。隊長と呼ばれていて、いつも怖い顔をしているとか何とか……。  「あの、新崎さんの上司ってもしかして……」  消防の人なんてほとんど知らない俺にも、思い当たる人物が一人だけいる。もしかしてと思い松ノ木さんを見上げると、歯を見せながらいたずらっぽく笑う顔が目に映る。  「ああ、そういうことだ。つーかあいつ、何も言ってなかったのか?」  「はい。そういう話、親父は全然してくれないんで……」  「お、親父……?」  明らかに戸惑った様子で新崎さんが口を挟む。松ノ木さんは俺の頭に手を置いて、何故か得意げな笑顔を浮かべた。  「そういうことだ。ほら、結構似てるだろ?」  ――やっぱり。  一気に身体が重くなった気がした。ただ置かれているだけの手に押さえられるように、身体が若干前へと傾く。  こういう展開を全く予想していなかった訳じゃないけど、まさかこんなに早く親父の部下の人と顔を合わせるとは思っていなかった。せめてもう少し、心の準備が出来てから会いたかったのにと自分に降り掛かった不運を呪う。
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