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「――そういうことがあったから、かな。困ってる人を、助けたいって思うようになったのは」
左右に広がった太い枝を両手で掴み、右足を掛けてよじ登る。
柔らかな緑色に染まった葉が擦れ合い、俺の頭上で軽やかな音を鳴らした。顔に落ちた葉の青臭さに眉をひそめながらも、俺はより少し上にある枝へと手を伸ばす。
「結局、あの人にはお礼も言えなかったけど……こうやって誰かの力になることが、少しでも恩返しに繋がるんじゃないかなって、そう思うんだ」
「で、でも……」
可愛らしい水色のランドセルを背負った、小柄な女の子が不安げに俺を見上げている。
「大丈夫。俺、木登りは得意だから」
女の子に笑いかけながら、俺は太い幹へと足をかけた。
ここは、豊かな海と山々に囲まれた街、深暮市。
その北部にある花吹公園という場所に、俺たちはいる。
緑豊かな景色と起伏に富んだ地形が特徴の、市内でも特に大きな公園のひとつだ。
特に敷地内の桜が咲き乱れる春の景色は有名で、花見の時期には県外からも多くの人が訪れる。ちょっとした花見の名所、といったところだろうか。
そんな花吹公園の南で、俺は小高い丘の上に立つ、一本の木の上に登っていた。
道端の時計に目をやると、時刻は午前八時の少し前を示している。
本来なら、既に学校の門には着いていないといけない時間だ。
なのにどうして、こんなところで木登りをしているのか。
その理由は、今まさに俺を見上げている女の子にある。
とはいっても単純な話で、公園の近くを通った際、この女の子が泣いているところを見つけてしまっただけなのだけど。
どうにも気になって話を聞いてみたところ、色々あって木の上に手提げ袋が引っかかり、取れなくなってしまったという。
女の子は高いところが苦手らしく、取りに行こうにも怖くて登れない。近くに大人はいないし、いても木登りなんて頼めなさそうな高齢者ばかり。
お気に入りの手提げ袋だから、諦めて立ち去るなんてとてもできない。
そこへ俺が通りかかり、今に至る……というわけだ。
「よっ、と……」
俺は枝葉をかき分け、慎重に木の中へと潜り込んでいく。
下から見上げたときは大したことないと思っていたのに、こうして登ってみると意外と高い木だったことに気付く。
高いところは平気なほうだけど、あまり下を気にしないほうがいいかもしれない。緊張して、足を滑らせたりでもしたら大変だ。
「……よし、もうちょっとだな」
気合を入れ直すために呟きながら、真っ直ぐに頭上を見据える。
手を伸ばしてもギリギリ届かないくらいの位置に、白い手提げ袋が引っかかっているのが見えた。
一見シンプルな見た目だけど、ワンポイントにあしらわれた猫の刺繡と、虹色の持ち手が可愛らしいデザインだ。
俺は右手で手近な枝をしっかりと握り、手提げ袋に左腕を伸ばす。
袋の底を持ち上げれば、直接掴まずとも枝から離せそうだ。
俺は左腕を高く掲げたまま、不安定な枝の上で軽く跳んだ。袋は上手い具合に枝から離れ、絡み合う枝の隙間を転がるように落ちていく。
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