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2.マイ・ファニィ・ヴァレンタイン
その日のゲスト・シンガーは、30代半ばくらいの、身体のラインがロングドレスにぴったりの、色っぽい女で、案の定、のっけからマイ・ファニィ・ヴァレンタインを唄った。ハスキー過ぎない、聴き心地のよい声で、歌は、ミスティに続いた。
20代で自分の限界を一度見たことのある女性シンガーは、決して無理はせずに、自分の得意なところを磨いて、地道に進化して行く。そして、30代から40代にかけて、花開く。この女がその良い例だと思った。自分に合った歌を選びながらも、お客様が満足する歌い方をする。そこんところの折り合い加減が実に巧い。
目を細めて聞き込んでいると、蘭子ママが間近に来て、「お気に入りのようですね。」と囁く。「あぁ、いいね。」と答えると、「このステージが終わったら、ご紹介しますね。」とウインクしながらと言う。
イザベルにキツイ一発を食らって、参っちまってるので、この時点で女を口説こうとか、そんな気持ちには到底なれないが、色っぽい女と話すことで少しは気晴らしになるのではないかと思った。どうせカミさんのことだから、弁護士に頼んで離婚訴えの提起をするに違いない。いや、今日あたり既にしているのかもしれない。となると、家庭裁判所から呼び出し状が送られてくるのも時間の問題だ。やれやれ、裁判で争うか、調停になるか、いずれにしてもゴタゴタが続く。ここへ来て、気分良く赤ワインを飲みながら、ジャズを聴くのも当分無理かもしれない。
そんなことをウダウダ考えている間に、蘭子ママが女を連れて来た。
すると、いきなり、「お久しぶりです。須藤さん。」と彼女は挨拶する。
はぁ、誰だっけ? 俺、知らないよ。いや待てよ。おい、あの...
「そうか、確か、六本木の。」と俺はつい口に出す。すると、ママが「六本木?」って、素っ頓狂な声を上げる。
「ほら、ミッドナイト☆ガールズで歌ってた。玲ちゃん?」と俺。
「ようやく思い出していただけたみたい。」と彼女。
「だって、あの頃、ガールズ・バンドのヴォーカルだったじゃない。」
「変わりました?」
「良い意味でね。すっかり大人になっちゃって。オジサン、ドキドキだよ。」
「またぁ!口がうまいんだから。」と言って、玲は、俺の右腕を思いっきりひっぱたく。その辺は、昔とぜんぜん変わっていなかった。
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