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翌々日の夜、俺は、神楽坂のシャンソニエ(シャンソン・バー)に向かった。
ミリィ(美里)の出演予定がわかったからだ。彼女は、自分のウェブサイトを作っていなかったが、ネットで東京にあるシャンソニエのスケジュールを片っ端から調べて、見つけることができた。
店に入ると、ちょうどミリィが歌っているところだった。
それは、「ムーランルージュの歌」で、俺を見つけた途端、かなり驚いた顔をして、動揺が音程を微妙に狂わせているのがわかった。
「大丈夫だよ、うんうん。」という風に俺は頷くジェスチャーをして、席に座った。後半部分で、「あぁ、今思えば、恋の終わりなの」という歌詞があるのだが、「いや、俺とお前はまだ終わってないんだよ。」って心の中で強く思った。
歌い終わったミリィが次の曲がわからなくなり、ピアニストさんに助けを求めた視線をしたが、楽譜が見えたらしく、「えぇ、次は、『モンマルトルの丘』という曲です。ピガール広場にあるムーランルージュは、ちょうど、このモンマルトルの丘の麓あたりにあって、そこから石段をかなり上っていかなければなりません。そんな丘で、年老いた詩人と美しい少女が恋をする、っていうロマンチックな歌です。」と、きっとドキドキしているはずなのに、よく言えたなと感心した。
ステージが終わってから、俺は、ゆっくりとミリィ(美里)に近づいて、穏やかに話し始めた。
「歌手やってるって、言ってくれれば、良かったのに。」
「・・・」
「俺、会社で働いてる女性も好きだけど、シンガーも好きなんだよ。」
「そうなんですか。」
「ほんとだよ。何か、怖がってるみたいだね、今日は。」
「そんなことないです。こんなところで。」
明らかに美里はオドオドしていた。彼女は、悪人になり切れないタイプだと知っている。それは、セックスの仕方でもなんとなくわかるし、さっき初めて聞いた歌でも、それがわかった。そういう性格だと知った上で、俺は、こう切り出した。
「最後までいるよ。終わってから、ちょっと相談があるんだ。」
「はい、わかりました。」
彼女の言葉には、どこか覚悟したような趣が漂っていた。
富田の「彼女が何を一番望んでいるのか、訊き出すんだぞ。」という念押しの言葉が耳の奥で繰り返され、「わかってるさ。」と俺は心の中で呟いた。
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