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エピローグ
イザベルとは、慰謝料無しで離婚することができた。富田は、こっちが慰謝料貰うべきだと主張したが、遺恨を残すのが嫌だったので、請求せず仕舞いだった。それを心優しいと呼ぶのか、気が弱いと形容するのかは意見が分かれるところだろう。
取り敢えず、お金は浮いたので、それを俺は買収に使うことにした。
新宿のシャンソニエがオーナーの高齢化で続けるのが難しくなり、売り物に出たので、その商権を買い取ったわけだ。出演者やお客は、かなりの部分を引き継げたので、これは良い商売となった。契約関係は、富田にやってもらった。
店内をパリのカフェ風に全面改装して、ピアノもヤマハからスタインウェイ&サンズに換えた。店名は、「赤い風車」とした。マスターとママを新しく雇い入れ、俺は、オーナーとして週2ペースで顔を出す。この出勤が執筆活動にとって有効なアクセントとなった。もう、行きつけのバーで息抜きしようとして、女にひっかかる心配はなくなった。
3日ぶりに顔を出すと、まもなく出演者とママで、俺が決めたオープニング曲「ムーランルージュの歌」を唄い始めるところだった。
風車 回る回る 青空に愛の歌
繰り返す 歌につれて いつの間に 胸躍る
前の店から常連の三田村さんが「優雅な歌ね、須藤さんの趣味なの?」と尋ねるので、「いや、偶然なんですよ。この店を買うきっかけとなった歌なんで。」と答える。
ママのミリィは、今日は音程はブレなさそうだ。
彼女の望んでいたことは、お金ではなく、自分が毎日歌うことができる場所だった。そして、それを俺が提供することができた。ビジネスでお金のことばかり考えている販売代理店の社長には、シンガー達の気持ちなど思いつかなかったのだろう。
そんなことを想像しながら、最初の出演者が一曲目を歌うのをぼんやり聞いていると、また、三田村さんが顔を近づけて話し掛けて来る。まったくお金持ちの婆さんは、姦しい。
「で、エンディングは、何にしたの?」
「あぁ、エディット・ピアフの『水に流して』ですよ。」と俺は答える。理由は訊くなよと、目でお婆さんを制しながら。
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