恩送り

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「はい。そうします」 「それじゃあ、気をつけてね。無理しないように気をつけてね」 「ありがとうございます。奥さまも道中お気をつけて」 「ありがとう」 おばあさんは私の進行方向とは逆の方へ去って行った。しばらくの間、その背を見つめながら喉元まで出かかっている言葉を探した。 あ、『恩送り』だ。 バギーボードを取り付けて2人の幼子を乗せたベビーカーを押しながら、ふと思い出す。 自分の受けた恩をその相手に返すのが恩返しなら、違う誰かに送るの恩送りだ。 恩を別の人に送る行為に名前があると知ったのはつい最近のことだった。 以前、親友のことで悩んでいたことがあった。彼女はふたつ年上で、本当の姉のような存在だった。いつだって見方してくれて温かく見守ってくれて、応援してくれる。私は彼女にしてもらうばかりで自分が同じように返さないことが歯がゆくて、そんな自分が悔しかったのだ。 「それは別に悩むことちゃうよ。助けるって、自分より余裕のある人がしてくれることやろ?やったら、お前は別の困ってる誰かを助けたらいいねん。必ずしもその人に返さんくても、誰かに返したらそれでいいねん」 そう言ったのは、夫だった。まだ結婚する前の話だ。夫の言葉でこの恩送りという思想を知ったのだが、このときはまだこの行為に名前があることを知らなかった。 「情けは人のためならずだね」 そう言ったのは実弟だった。 「そうやって、人のためにしたことが助けという形で返ってきてるんじゃない?」 その言葉に妙に得心する。 知らない誰かに助けられるようになって、自分も自ずと見ず知らずの相手に「大丈夫ですか?」と声を掛けるようになっていた。すると不思議なことに、以前よりも助けられることが増えたのだ。 世の中にはこんなにもたくさんの親切な人がいるのだと驚く。悪意に満ちた生きづらい社会だと思っていたのに、人々の心には善意があるのだ。 「そうやって恩が巡って行くんだねぇ。恩送りって、いい言葉だ」 本当、いい言葉だ。 温かい善意が巡って行く。 その気持ちに助けられる人の輪が広がって行く。 善意のお返し、恩送り。 これからも、受けた恩を誰かに送っていこう。 改めて心に決めると、不思議と足取りが軽くなる。 我が家まであと半分。よし、頑張ろう。 明日からも、頑張ろう。
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