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 六時間目の終業のチャイムが鳴った。  一日の最後の授業が終わり、教室はどこかほっとしたようなさざめきに包まれた。  クラスメイトたちはめいめい帰り支度を始めて、決まった友達と連れだって教室を出ていく。予備校という第二ラウンドに向かうのだ。  そんな彼女らの気配を背中に感じながら、溜息をついた。 (今から担任のところに行かなきゃならないなんて……)  あたしだって勉強しなきゃならないのに。  目立たぬよう、息を殺すように高校生活を過ごしてきた。それが三年生の今になって初めて担任教師の呼び出しを受けたのだ。 (模試の順位が下がったことかな。それ以外、思い当たらないけど)  黒板の上にかけてある時計を見上げた。午後三時二十分。あたしは何度目かの溜め息をつき、政治経済の教科書を通学鞄に押し込んで席を立った。  教室を出て、下校の生徒に混じって一階に降りる。人波は左側の昇降口に進んでいったが、あたしは反対側の渡り廊下のほうへ向かった。  渡り廊下から第二校舎に足を踏み入れると、新しい建物のにおいがした。  あたしの通う学校は明治時代設立の歴史ある中高一貫の女子校で、クラスごとの教室が入っている第一校舎は木造でとっても古臭い。だが、第二校舎は五年前に増設された鉄筋コンクリート造りで、理科室やマルチメディア室、音楽美術といった専門教科の教室、それらを教える教師たちの職員室が入っていた。  階段の上り口で校舎案内図を確認する。担任のいる音楽科準備室は四階の中ほどにあった。 (説教されるために四階まで行かなきゃならないの?)  疲労感が一気に襲ってきた。  それでも重い足を持ち上げて、階段を上る。優等生のあたしは、先生の呼び出しをすっぽかすなんてできないのだ。 「失礼します」  音楽準備室の引き戸を開けると、入口から一番近い席に座った女性教師が学級日誌から顔を上げた。  クラス担任の篠原(しのはら)(あけ)()である。机が六つ向かい合わせに並んでいたが、残っている教師は篠原先生だけだった。 「ああ、結城(ゆうき)さん。待ってたわ。そこに座って」  二十代後半の担任教師はぱっと表情を明るくすると、にっこりと微笑んだ。  あたしはその計算しつくされたつくり笑顔を真顔のまま見やり、ロボットのように会釈する。  用意されていた丸椅子に座り、まっすぐに見返した。篠原先生は気圧されたように目を(しばた)いたが、すぐに曖昧な笑みを浮かべ――机上に目を落とした。  目を逸らせたのだとわかった。この担任はあたしのことが苦手なのだ。他の生徒のように(なつ)かないから。そしてこっちが嫌っていることにも絶対に気づいている。女という生き物はそうゆうことにすごく敏感だ。 「時間をとらせてしまって悪いわね。今日、来てもらったのはね……」 「成績が落ちたことについてですか?」  唐突に言葉を遮られた篠原先生は、驚いたようにこっちを見た。淡いピンクに塗られた唇の端が、一瞬ひくりとひきつった。  しまった、と思った。悪意があって言葉尻を絶ち切ったわけではない。彼女はいつも角が立たないように回りくどい話し方しかしないので、前置きがひどく長くなる。だからお互いの時間を無駄にしないためにと思わず口を挟んでしまったのだ。  決して悪意はなかったのだけれど、きっと反抗的な態度に思えただろう。  その証拠に、むっとした表情を見せた一瞬を、あたしは見逃さなかった。だがそれはすぐに笑顔に塗りつぶされたのだが。
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