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夜叉若が笑った。体は大きいが笑うと顔は幼かった。反対に市松は体は子供の大きさだが、顎が角張り、うっすらと髭が生えている老け顔だった。
「おい、天」
夜叉若が肩の猿を見て言った。
「秀吉殿はお前にそっくりだな。いや、お前より猿っぽいかもしれん」
「な、なんじゃと、このがき」
秀吉は夜叉若を見上げて怒声をあげた。
「見てみい天。ああやって顔を赤くするとますますそっくりだ」
天と呼ばれた小猿が夜叉若の頭の上に移動し、指をしゃぶりながら不思議そうに秀吉を見つめている。
「夜叉若とかぬかしたな、お前。あんまりわしを舐めてると叩き斬っちまうぞ」
「藤吉郎」
なかが声を発した。
「はい」
秀吉の背筋が伸びる。秀吉は昔から母が大好きだった。ゆえに母には弱いのだ。
「夜叉若は旅の途路、路が荒れていれば、必ず私をおぶってくれました。とても孝行者で良い子なのです。叩き斬るなどと、物騒ではありませんか」
「でも母上。こいつがあまりにも無礼な事をぬかしやがるもんですから」
「子供の戯れ言です」
なかが言った。
「いちいち腹を立てているようでは、お前もまだまだ未熟者ですね」
秀吉は唇を尖らせて下を向いた。
「わあ、怒られておる、怒られておる」
夜叉若が嬉々とした声で言った。
「夜叉若、お前も無礼が過ぎるぞ」
市松が落ち着いた口調で言った。遠目で見ると夜叉若の方が大人に見えるが、喋ると市松の方がずっと成熟していた。
「秀吉殿に謝れ」
「あい、すみませぬじゃ」
夜叉若が頭を下げた。秀吉の遥か上に頭があるので下げられているという気分にはならないが、夜叉若は案外に素直なようだ。
「ほれ、天。お前も謝れ」
夜叉若の頭頂にしがみつく小猿の天が指しゃぶりのまま頭を少しだけ動かした。
「二人とも見所のある子です」
なかが言った。
「そうだよ、おまいさん」
いつの間にか秀吉の隣に来た寧々が言う。
「市松も夜叉若もすんごい良い子なんだから。家に暫く泊まってたんだけどね、薪割りとか仕事を沢山こなしてくれて、あたし、凄く助かったんだ」
「てめえ」
秀吉の語調が自然と荒ぶる。
「わしの留守中に男を泊めたのか」
「10歳と11歳の子供ですよ」
なかが呆れた様子で言った。
「何をいちいち怒っているのです、藤吉郎。全く、お前という子は。寧々殿、ごめんなさいね」
「いいえ、義母上様。いつもの事で慣れております」
寧々が勝ち誇った顔で頷きながら、言った。
「藤吉郎、お前のような、ちんちくりんにここまで尽くしてくれる女性はもう現れませんよ。もっと寧々殿を大切にしなさい」
「はい」
秀吉は俯き、返事をした。寧々が声を出さずに唇だけ動かしている。寧々の唇は、やーい、やーい、と読めた。
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