《53》

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 秀吉は歯噛みして、寧々を睨んだ。 「市松も夜叉若も、すでに父は亡く、母の手ひとつで育てられてきました」 言いながら、なかは眼を細めて市松と夜叉若を交互に見ている。 「女の手ではどうしても甘やかしてしまいます。ここらで、親元から離さなければ、甘えの強い男になるのでは、と私は双方の母に相談されたのです。そこで、藤吉郎。二人をお前に預けてみようと私は考えたのです」 「はあ、このがきどもをですか」 秀吉は言った。 「それは良いのですが、ここは最前線の戦地です。戦闘が始まれば、流れ矢に当たる事もありますし、城を奪われれば首を打たれます。子供でも、城内におれば浅井方は容赦せぬでしょう。それでもよろしいか」 「二人とも、子供であっても男です。その辺りは充分承知でここに来ているでしょう。ねえ、市松、夜叉若」 「はい、なか様」 市松が言った。 「おうよ、なかのお袋様」 拳で胸を叩き、夜叉若も言う。 「二人とも、一通りの武術などは師について学んでいます。最低限、自分で自分の身は守る事はできましょう」 「そうだぞ、秀吉殿」 夜叉若が言った。 「俺は強いぞ。槍を遣えば天下無双じゃ。今まで誰にも負けた事がない」 「ちょっと待て、夜叉若」 言って、市松が夜叉若の前に立った。市松の人差し指が夜叉若の顎に向く。 「こないだ俺に負けたじゃないか。秀吉殿の前で嘘をつくな」 「あれは、わざとじゃ」 言って、夜叉若が胸を反らす。 「あんまり、俺ばかりが勝つとお前を虐めているように回りが見るからな。たまにはと思って負けてやったのじゃ」 「なにを負け惜しみを。こめかみに青筋を立てて打ち込んできて負けたのだろう。あれは完全にお前の負けだ」 市松の口調は先ほどまでの大人びたものから一転、幼さ滲む子供のそれになっている。 「天下無双はこの市松様よ。夜叉若、お前は天下無双じゃない」 「どっちも違うわい」 言って、秀吉は市松と夜叉若の間に立った。 「恥ずかしげもなく、自分で自分の事を天下無双なんて言えるのは、お前らが本当に強い男を知らんからだ。いいか、市松、夜叉若。この世にはな、馬を駈らすだけで敵も味方も魅了しちまうような武神がいるんだ。それを見ちまったら、最後。もう二度と自分が天下無双だなんて言えなくなっちまうぞ」 「武神」 呟き、夜叉若が唾を呑んだ。 「そんなのがおるのか。秀吉殿は武神を見た事があるのか」 「ある」 秀吉は夜叉若を見上げた。小猿の尻尾が空に向かって真っ直ぐに伸びている。 「名は本多忠勝。三河、徳川家康に仕える猛将よ」
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