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なかと寧々は供をつけて、翌日の早朝に帰らせた。帰りたくない、と寧々が駄々をこねたが、秀吉は1日以上の逗留を赦さなかった。やはり、横山城では、いくさに集中したかった。
寧々への情欲といくさへの情熱を両立させるほどの器用さを秀吉は持ち合わせていなかった。
市松と夜叉若はどんな事にでも好奇心を示した。
連日、半兵衛や小六は二人から質問責めにあっていた。半兵衛も小六もすこぶる愉しそうだった。
不思議な感覚だった。秀吉は市松と夜叉若をいつまででも眺めていられるのだ。少し怒っている姿、喜んでいる姿、不貞腐れている姿、どれも秀吉の心を愉しくした。
秀吉にまだ実子は無いが、子を持つというのはこんな気分なのかもしれない。
城内の広場で、市松と夜叉若と並んで、隊の演習を見分していた時である。
「親父殿」
ふいに市松が言った。誰の事を言っているのかわからず、秀吉はすぐに返事をする事ができなかった。
「市松が呼んでおりますぞ、親父殿」
夜叉若に言われて、ようやく秀吉は市松を見た。人から、父、と呼ばれたのだ。少しの間を置き、秀吉はそれに気づいた。
今まで感じた事のない何かが秀吉を包んだ。
喜び。少し違う。恥ずかしさ。それも違うような気がする。切なさ。それだ。
親父殿。その言葉の響きは秀吉の心に甘酸っぱい切なさを運んできた。
「おう、なんだ、市松」
平然を装って、秀吉は市松に応えた。
「俺の生家の傍に、石田という家族が住んでいた事があるのです」
「ほお」
「そこの次男が佐吉という名前で、俺よりひとつ年上なのですが、それはそれは頭が良くて」
「ほお」
市松は何の前置きもなく話を始める事があった。数日、共に暮らし、市松、夜叉若、それぞれの特徴を秀吉は掴み始めていた。
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