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皆の輪から少し離れた場所で夜叉若に転がされた騎馬兵が顔を赤くしている。やはり本気で打ち掛かって馬から落とされたようだ。
陽はすでにかなり西に傾いている。広場が黄金色に染まっていた。
1日の中で秀吉は夕刻が一番好きだった。
黄金色の中に身を置いていると、自分自身の存在が特別なものに思えてきて、なんとも言えぬ快さが全身を駆け巡るのだ。
「強さがすべてなのです、夜叉若は」
眼を細めて市松が言った。
「だから、佐吉のような男を嫌う傾向がある。しかし、それでは駄目なのです。このままでは夜叉若は荒っぽいだけの狭い男になってしまう」
「夜叉若の見聞を広くする為に、色んな人間、例えば石田佐吉のような男とも交流をしてほしい。お前はそう思っているんだな、市松」
市松がはにかんだように笑い、頷いた。
「お前、夜叉若が好きなんだな」
「弟だと思っています」
兵たちの手で夜叉若の胴上げが始まった。
市松が無邪気な声を上げて兵たちの輪に加わっていく。
夜叉若の胴上げは暗くなるまで続いた。
市松と夜叉若に大きく育ってほしい。秀吉は切にそう思った。
「わしは、宝を得たのかもしれんなぁ」
呟き、秀吉は夜空を見上げた。丸い月が青白い光を放っていた。
翌早朝、横山城に早馬が駆け込んできた。
まだまだ深い眠りの中に沈んでいた秀吉は起こしにきた兵卒を怒鳴りつけた。
「赤伝者でございます」
兵卒が言った。秀吉は寝床から跳ね起き、兵卒を押し退けて、寝室を飛び出した。
横山城内で軍営と定めている小屋には、半兵衛と小六、6人の侍頭が集まり、板敷きの上に腰を降ろしていた。
皆に囲まれるようにして、赤い旗を腰に差した兵が膝をついている。
赤い旗は緊急時の早馬である。
「摂津の戦陣から参りました」
赤伝者が言った。秀吉は他の者より一段高い板敷きに腰を降ろした。正面から見た赤伝者の顔
は泥で汚れていた。
「危急か」
秀吉は言った。自分でも嫌になるほど声が緊張していた。
赤伝者が頷く。
「摂津にて、我が軍、三好三人衆に大敗致しました」
「なんじゃと」
秀吉は前のめりになって、叫んだ。
「三好三人衆に我が軍を撃ち破るような力はあるまい。雑賀か。紀伊の雑賀衆とかいう傭兵部隊がそれほど強力だったのか」
「確かに雑賀衆は精鋭でしたが、数が少なく、それほど問題には」
「ならばなぜ」
秀吉の顔の回りで唾が飛び散った。この敗戦の報はどうしても信じ難かった。
「もしや」
秀吉の右側に座す半兵衛が顎を擦り、呟いた。
「石山本願寺か」
赤伝者が大きく頷いた。
「顕如率いる本願寺衆が三好三人衆に味方し、我が軍はこれに大敗致しました」
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