《54》

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 歩き巫女の存在は噂で知っていた。巫女装束で色んな場所に潜入し、時には女の武器を巧みに遣いながら情報を収集してくる武田信玄直属のくノ一部隊だ。 「武田信玄とは同盟関係の筈だ」 「いくさが無い時のお前はとてつもなく愚鈍だな、本多忠勝。そんな事だから狙われるのだ」  忠勝は舌打ちし、半蔵を睨んだ。小松が傍に居るので、汚い言葉はあまり遣いたくなかった。 「武田信玄は元々、上洛志向が強い大名だ。徳川は、そんな信玄と国境を接しているのだ。黴(カビ)の生えかけた同盟などいくらもあてになるまい」 「武田信玄が遠江を狙っているという事か」 「それはわからんが、歩き巫女が遠江に入ったという情報だけ俺は掴んだ」 半蔵が喋るたび、覆面が収縮した。 「随分と簡単に歩き巫女は入ってきたぞ、本多忠勝。お前の国境警備がいかに優秀かがよくわかる」 「おい、服部半蔵よ」 言って、忠勝は半歩前に出た。 「今日は娘を連れている。あまり俺を怒らせるなよ」  小松は糸の眼をしばたたき、忠勝を見上げている。 手には望月千代女に渡そうとした竹の葉包みの弁当をまだ持ったままだ。 「歩き巫女が入ってきたということは、目的は暗殺しかない。俺はお前たち徳川の主要武士を見張っていた。特にお前をな、本多忠勝」 「なぜ俺だ」 「愚鈍な者から順に狙われるのは必然だろう。実際、お前が一番最初に狙われた」 「武田信玄は齢50だと聞く」 半蔵の嘲りを相手にせず、忠勝は言った。腹の中は煮えている。 「本当に上洛への思いなどまだ持っているだろうか」 「勝頼が居る」 半蔵が言った。 「信玄の気は萎えていても勝頼は違うだろう。此度、歩き巫女動かしたのは勝頼かもしれん」
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