《54》

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 外から、勇壮な太鼓の音が聞こえてきた。 忠勝は唹久たちと一緒に外に出た。 大手門の傍にある櫓が篝の煌々とした灯に照らされていた。 下まで行って確認しなくても、この勇壮な音でよくわかる。櫓の上で大太鼓を打っているのは酒井忠次だ。  太鼓が腹に響いた。何かが腹底から込み上げてくる。俺は三河武士だ。素晴らしい家族が居る。頼もしい戦友が沢山居るのだ。何も恐れる事などない。忠勝の全身に勇気が奮い立った。  武田の刺客が領内に現れたという話はもう浜松中に拡がっている。誰もが不安と動揺で浮き足立っている。忠次は皆の動揺を払拭すべく太鼓を打っているのだ。この太鼓が浜松に住まう誰もの心を奮い立たせていることだろう。  忠真が屋敷から出てきた。13歳になったばかりの一人息子、菊丸も一緒だった。 菊丸は骨格がしっかりしていて、どこか顔立ちが忠勝に似ている。 「酒井の大太鼓はいつ聞いても見事なものよのう」 「はい、叔父上。三河武士として産まれてきて良かった。あの太鼓を聞くたび、俺は心からそう思います」 「それにしても、武田とはのう。今川、朝倉。どれも比べ物にならぬ。もし、いくさになれば、これまでの、どの敵よりも強大であろうな」 言いながら、忠真は甲斐の方角を見ていた。はっとして、忠勝は眼を伏せた。月光に照らされた忠真の横顔に不吉な陰影が見えたのだ。 「次こそは雄々しく」 「菊丸もそろそろ初陣では」 忠勝は忠真の言葉を切るようにして言った。雄々しく死ぬ。そんな言葉を忠真に言わせたくなかった。 「槍の天禀はお前の足元にも及ばんよ、忠勝」 忠真は力の無い笑みを菊丸に向けて言った。菊丸の表情は変わらなかった。 「そこそこの武士にしかなるまいな、菊丸は」
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