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時々、馬の背が斜めになったり、鼻面がぶれて、ひどく揺れたりした。馬脚が乱れた音を鳴らす。自分でも嫌になるくらい秀吉は馬の乗りこなしが下手だった。
並走する半兵衛の馬は背が真っ直ぐで、安定した駆け方をしていた。
高時川に差し掛かった。琵琶湖に注ぐこの川は今、流れがひどく歪になっている。川にいくつもの屍体が沈んでいるのだ。すべて、浅井や六角の者の屍体だった。
今は暗くてわからないが、高時川の水は若干赤い色になっている。
小谷城城下の1町(約110メートル)手前で秀吉は進軍を止めた。
油壺を抱えた20人を連れて、蜂須賀小六が町に向かって歩いていく。
「人のままでは勝てんのよ」
秀吉は声に出して呟いた。半兵衛があるかなきかの反応を示した。
信長が悪鬼羅刹なら、自分は更に大きな怪物にならなければならない。信長を喰らって天下人になる。
その為ならなんでもやってやる。我ながら悲愴だと、秀吉は自嘲の笑みを浮かべた。
不意に、秀吉の脳裏にお市の方の顔が浮かぶ。猿殿と呼び、お市の方は幼い頃から秀吉によくなついてきた。
信長に殴られて痛がる秀吉に薬草を塗ってくれた事などもあった。とても心根の優しい女だったという記憶が鮮明に残っている。ある時期、自分より頭ふたつ分大きなお市の方を見上げながら会話する事が秀吉の楽しみになっていた。
小谷城城下に小さな火柱が上がった。火が徐々に大きくなる。秀吉は空を見上げた。月が赤く染まっている。
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