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前方、赤い尾を引く松明がいくつも小谷城城下町に向かって飛んでいゆく。
猿殿を虐めて。兄上を許さない。寧々さんに捨てられたら私が猿殿のお嫁さんになってあげる。
舌足らずなお市の方の声が秀吉の耳奥で甦った。
お市の方は浅井長政のどこら辺に惚れたのだろう。もし、また出会ったら、お市の方はまだ自分を猿殿と呼んでくれるだろうか。そんな事を考えた。
火が、町を嘗める。辺りが昼間のように明るくなった。
秀吉の脳裏でお市の方の笑顔が浮かんでは消えた。
風は強くないが、町で火は拡がり続けている。じき、小谷城にまで達するだろう。
「くそったれが」
呟き、秀吉は馬腹を蹴った。馬が疾駆する。
「小六」
蜂須賀小六の傍で馬を急停止させた。
「おお、秀吉」
小六が秀吉を見上げてくる。
「もう少し後ろで待ってな。じき、小谷城まで燃え広がるから」
「町の民家を片っ端からぶっ壊して、これ以上火が拡がらないようにしろ」
生き物のように揺らめく炎を見ながら秀吉は言った。
「ああ?」
小六が唇をひん曲げる。
「何言ってんだ、秀吉」
秀吉の回りに半兵衛たちが集まってきた。
「民家を片っ端からぶっ壊せ、小六」
秀吉はかぶりを振って叫んだ。脳裏にはお市の方の顔が浮かび続けている。
「城に燃え移る前に火を全部消せ」
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