《49》

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 いくさ場の死に心を動かしてはならない。 直隆がいつも部下に言っている言葉だ。それなのに、腹から血を噴き、落馬する隆元の姿を見た瞬間、直隆の全身は憤怒に焼かれた。気がつけば直隆は馬に飛び乗り、持ち場から離れていた。  味方の伸びきった部分には渡河してきた徳川軍が取り付き始めている。朝倉軍の各侍大将たちは対応に奔走している。 直隆の脳内で戦況など隅に追いやられていた。隆元が死んだ。本多忠勝に殺された。それ以外の事を考えられなくなっていた。 「隆元」 直隆は呟き、唇を噛んだ。唇からは血が、眼からは涙が溢れ、後方に飛んでゆく。  隆元の屍体の傍に来た。直隆は馬から飛び降り、血溜まりに転がる隆元の屍体の傍で両膝を着いた。隆元の腹からは腸が零れ出ている。 「隆元ぉ」 叫び、直隆は隆元を抱きしめた。隆元の体には、まだ少しの温もりが残っていた。腕に力を込めた。血と便臭が直隆の鼻をついた。 それすらも愛しい、と直隆は思った。 「わしの、わしの、たった一人の息子なのだ」 震える声で独りごち、隆元の顔を見た。眼を閉じ、まるで眠っているかのような安らかな表情だった。  直隆はいくさ場の、ある一点を睨みつけた。黒い甲冑が躍動し、大槍が回転している。 「人の心とは、壗ならぬものよのう」 直隆は言った。自嘲の言葉である。いくさ場の生死に恨みつらみを持ち込むなど愚の骨頂だ。武士のやる事ではない。このいくさの前まで直隆の信念として、それはあった。 だが今、直隆の中にあるのは息子の仇を討ちたい。本多忠勝の屍体を隆元の隣に並べたい。それだけだった。 「よく見ておけ、隆元。お前の無念はわしが晴らす」  隆元を地面に横たえ、馬に飛び乗り、直隆は背中の太郎太刀をゆっくりと抜いた。
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