《49》

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「過分なお言葉、身に余る光栄にございます」 七郎は使者に言った。今川に仕えていた頃から兄が全くやらなかったので、こういった形式ばった言葉ばかり七郎は上手くなっていた。  使者が離れて行ってから、七郎は姉川に近づいてみた。 屍体が多く浮いているせいか、昨日、いくさ場の下見に来た時より、姉川の水流は歪になり、水の色は濁っている。 七郎は川に添って歩いた。三田村橋周辺の河水の濁りが一番深かった。  姉川の向こうではまだ争闘が続いている。 榊原康政直轄の徒集団、『虚無雲』が何隊かに分かれ、朝倉軍の方々に食い込んでいる。 そのせいで朝倉軍は陣形が伸びきったまま身動きがとれなくなっている。 不動の虚無雲の回りを神速の黒疾風が駆け回る。縦横無尽に回転する蜻蛉切の姿は圧巻だった。朝倉軍は完全に指揮系統が崩壊している。  虚無雲と黒疾風の連携はため息が出るほど見事なものだった。まるで雲間を吹き抜ける風のように黒疾風の動きはいつも以上に切れていた。 まさに、空だな。白一色の虚無雲と黒一色の黒疾風を見ながら七郎はそんな事を思った。 いや、空と呼ぶにはひとつ足りない、と七郎は思い直す。 赤い日輪だ。赤一色で備えた部隊。日輪があれば、空が完成する。 「徳川の空」 七郎は呟いた。そして眼を閉じて、白、黒、赤、3つの部隊がいくさ場を駆け回る姿を想像した。それは、やけに現実的なものとして七郎の、瞼の裏に映った。 「徳川の空」 もう一度呟き、眼を開いて姉川の向こうを見た。朝倉軍が退却し始めている。
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