第二章 膨らむ蕾は春の訪れ 〈2000年3月〉

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 秀は、間違いなくそれは恋だろって、言った。    だとしたら初恋だ。  今まで、誰かのことをこんなに必死で見ていたいと思ったことはなかった。    演奏も歌も真莉絵自身も好きで堪らない。好きという気持ちがこんなに強い感情だと初めて知った。    でも、俺の体は別のものに支配されている。  鍵盤を走る細い指を握りしめたい。真莉絵の柔らかそうな唇が開く度に、吸い寄せられる。歌い上げる時に伸びる、喉と顎のラインにこの手で触れてみたい。  体から沸き上がる熱い衝動は、ライブ中ですら妄想に走らせる。  俺はそんな自分が、汚くて嫌で苦しくなるんだ。  この混沌とした複雑な感情が、その辺に転がっている告白して付き合いました的なお手軽な恋と同じものとは思えなかった。  だから、俺はこうして見ることしかできない。  これ以上近づいたら、自分がどんな暴走をするか見当も付かなくて怖かったんだ。    真莉絵の手が鍵盤からすっと持ち上がり、曲が終わった。最後の挨拶のために立ち上がりお辞儀をする。鳴り止まぬ拍手の中ゆっくりと顔を上げて真莉絵は微笑んだ。  終わっちゃったな・・・・・・ふうっと溜息を溢すと肩の力が抜け楽になった。  どんだけ緊張してるんだ?俺・・・  いつも真莉絵は少ししか話さない。きてくれたお礼と、次のライブの予定をさらっと告げて、今夜もステージからあっという間に去っていく・・・・・・  はずだったのに、えっ!  ステージを降りた真莉絵はまっすぐに俺の前に来ると、しっかりと目を見て小さな声で囁いた。 (裏に来て、待ってる)  突然のことに俺は固まり、周囲のざわつきすら耳に入らなかった。今の言葉を反芻して意味を掴んだ時には、もう真莉絵の姿はなかった。  呆然としていると、肩が、ぽんと叩かれた。
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