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不躾にその男は声を掛けてくる。
「お前、幾らだ?」
「っ!」
咄嗟に晴はグラスを手に取るとその男のスーツのジャケットにお酒を掛けていた。
「おい、晴!」
「あっ!ごめん」
晴はグラスを持ったまま固まった。男には隆二が対応してくれる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、俺が悪い。晴、気にしないでくれ」
咄嗟とは言えいつもなら簡単にスルーできる言葉に過剰に反応した自分に晴自身が驚いていた。いきなり呼ばれた呼び捨てでの名前に対しても嫌悪は浮かばなかった。
「すいません」
晴は素直に頭を下げた。その言葉の続きを隆二が引き取る。
「ジャケット、クリーニングしますから冷えるでしょうが脱いでもらえませんか?」
「いや、これくらい平気だ」
「いえ、そういう訳にはいきません」
「僕からもお願いします。クリーニングさせてください」
強く申し出た晴の言葉にようやく男はジャケットを脱いでくれた。シャツ越しでも鍛えて居るのが分かる身体だ。その姿に晴は視線を泳がせた。
「あの、連絡先教えてもらえますか?僕、三山晴って言います」
「ああ、俺は瀬川睦月だ」
お互いに連絡先を交換したとき視線を泳がせながら話をしていた晴は、睦月が少し目を細めて見つめるような瞳をしたことを気が付かなかった。
急ぎでクリーニングを仕上げて貰い3日後の日曜日、晴は書いて貰った連絡先の睦月のマンションの前まで来ていた。
(しまった、連絡してからくるべきだった)
マンションを見上げてジャケットの入った紙袋の持ち手を握り絞めた。
(よし、居なければ出直せば良い。行こう)
決意を新たに歩みを進め5階に住む睦月の部屋に向けてエレベーターに乗り込んだ。
部屋の前まで来て、緊張に震える指先でチャイムを鳴らす。2度、3度と鳴らしても誰の反応も無かった。
(不味い、やっぱり留守だったか~)
晴は部屋の前で肩を落とし、1つため息を付いた。頭を抱えたい思いだった。
(仕方ない出直そう。その前に連絡を貰えるようにメモを挟んでおけば良いか)
晴が扉の前でボディバッグの中に手を入れ中身を探っていたその時、扉からカチャリと音がした。
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