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 春になると、君といた風景を鮮やかに思いだす。  たとえば、桜の薄い花弁が空に舞い散る様子。一緒に乗った自転車で駆け降りたときの夕陽。川面を下ってゆく鴨の群れ。深夜に行った公園の青い影。  そんなひとつひとつが淡くたちのぼって、私は遠く旅するような気持ちにおそわれる。  目眩にも似た感傷。どこにも居場所がなくて、私は迷子だった。永遠に続く日々のなかで右往左往しながら、ひとりきりで、途方に暮れていた。君に出会って、別れてからもずっと。 ***  講義棟を出てからは、たいていまっすぐ帰らない。足元で、形の定まらない影が伸び縮みを繰り返す。単調な砂利の音。暗い小径。ポツンと白々しい光をはなつ電灯。  ガコンと大きな音がして、ミルクティーが落下した。自動販売機の透明なフィルター。三月になったというのに、夜の底は、いぜん冷たい。  温かいアルミの缶を抱えて、片隅にある木のベンチに座った。夜の公園。車の行き来する音が断続的に聞こえる。目の前を、猫がついと通り過ぎる。 「にゃあ」     
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