136人が本棚に入れています
本棚に追加
父親は、まだ勤めから戻る刻限ではなく、活発な母親はいつも不在がち。
だから、一日の仕事を終えて帰宅した少女を出迎える者は、今日も誰もおらず、館は実に静かだ。
ふう、と小さく吐息をつき、彼女は自分が逆さに映る床に視線を落とした。
心地よい疲れに満ちた自分の顔が、そこに見える。
今日も何とか仕事を終えた、そんな安心感が一杯に漂う顔だ。
ただ一つ、古代の粘土板を壊しかけた、大失敗の陰を除いては。
はあ、と彼女がため息をついたその時、館の奥から苛立たしげな声が響いてきた。
聞き慣れた青年の声だ。
「待て、エルマン!」
無人だとばかり思っていた彼女は、びくんと撥ねるように壁から離れた。
声の主のものらしい足音が、かつかつと館の奥から玄関広間へと向かってくる。
が、靴音はもう一つ聞こえてくるようだ。それを裏打ちするように、別な若者の声も近付いてくる。
「いやいや、御用も済みました。長居は失礼ですから、ローサイト卿。僕はこれにてお暇(いとま)を」
妙に調子のいい、明るい若者の声だ。
「招待状は、確かにお渡ししましたからね、ローサイト卿。お返事は、行動にてお示しを」
そしてすぐに、この玄関広間へ二人の若い男が踏み入ってきた。
片方は、少女もよく知っている青年だ。
最初のコメントを投稿しよう!