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 気がつくと、(こご)えていたことが信じられないほどで、むしろ熱いくらいでした。わたしは洗面器にはった湯の中で、体をさすられていたのです。  うっすらと開いたまぶたのすき間ににじんだママさまの面ざしを、忘れることはできません。強張ったほほが涙にぬれていました。  でも、わたしの目があいていることに気がついたとたん、ほほはやわらかに上がり、また新たなしずくがこぼれ落ちたのです。 「ハナコ。あなたは今日から、うちの子よ」  湯にひたったおなかをなでながら、わたしの名前をずっと呼び続けてくれました。 「このマンション、ペット可でしょ。だから、ハナコを飼ってもいいよね」 「小型犬だけってルールだけど、大丈夫かな?」 「どうだろう。柴犬っぽいけど、雑種だと思うんだよね。豆柴ってことにして、ごまかせないかしら」 「足が太くないから、そんなに大きくならないかも」 「そうよ。ちゃんとしつけていれば、文句も出ないわ」 「前に出席したマンションの管理集会でも、特にうるさい人はいなかったし」  それに、と声が続きました。 「今さら、手放せないんだろう」  こうして、わたしはパパさまとママさまのもとで暮らすことが、決まったのでした。  その夜、わたしは世に生を受けて初めて、おびえずに眠ることができました。  おそらくですが、生まれてすぐに母より遠ざけられ、捨てられたのでしょう。  暗くなると、いいしれない恐怖に押しつぶされて意識を失っていた気がします。  拾っていただけなければ、覚めない眠りについていたことは間違いありません。  必ずこのご恩をお返ししなくては、と心の中で強く唱えたのでした。  まずは大きくならないよう、ごはんはできるだけ控えました。  もう少し食べたいな。  そう思うところで口を止めるよう、自らに命じました。  これがどれくらい効いたのかはわかりません。  でも、わたしは小さな犬として、マンションの方々(かたがた)から、おだやかなまなざしと、明るい声をもらえるようになったのです。
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