源三郎江戸日記(弟三部)

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いるそうですと言うので、それでそれぞれ肩を持っているという事じあな、会津公も家臣が二つに割れて困っているのじあろう、先代は秀忠公の側室の子供で会津保科家に養子にいか、 れたので、 松平姓を名乗る親藩じあが、お家騒動はご法度だからなあ、親藩といえど厳封か改易になる、片方が勝てば片方は粛清されるおそれがある、困ったもんじあのうと言うと、かっての、 高鍋藩と同じに御座いますなと母上が言ったのです、米沢には二日程の逗留じあ会津に向かい騒動の前に治めるしかないかと言ったのです、お峰が誰か幕閣がからんでいるのですか、 と言うので、 絡んでなくても表沙汰になれば、武家諸法度に照らして処断する事になる、何とか片方を分家させて事を収めるしかないが、容易には従わんじあろうと言うと、ひょっとしたらどちら、 かが藩政を牛耳っているのかも知れんと言うと、三蔵が会津公は病気がちだそうですと言うので、それが原因じあな、元気なれば騒ぎは起こらぬはずじあ、ひょっとして、保科の一門、 がどちらかに肩いれしているのかも知れん、 先代が養子に来られて冷や飯を食わされているのかも知れんからなあ、飛猿と才蔵を先に生かせて探らせようと言って、三蔵ご苦労じあった、これは手間賃だと5両渡すと、入りません、     
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