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お母さんと喧嘩をした。理由は些細なことだった。でも、私にとっては許せなくて、この家の空間全てが消えてしまえばいい!と思いながら夢中で家を飛び出した。
けれど玄関を出て、すぐに『それ』に気付いた。
――雨だ。
ぽつん、ぽつんと、頬に静かに落ちてくる『それ』は大したものではなかったけれど。空を見上げると、今の私の心の中を描いたような、じわじわと広がる濃い灰色の雲が近付いていた。追いかけてもこないお母さんに言いたいことは山ほどあったけど、私は黙って玄関の傘を1つ手に取り、そのまま走り出した。
毎日見慣れた通学路。けど今日は学校は休みだし、小雨の降る夕方は人通りもなかった。いつもはキラキラ眩しくて足が勝手に前へ前へ進む道なのに、今日の足はいつもと違った。
知っている家、知っている看板、知っている曲がり角。全てが、知らないもののように見えた。
――この看板、こんなに薄汚れていたっけ?
――この木、もっと元気だと思っていたけど、以外に細くて弱弱しいな。
――この曲がり角を曲がると、いつも笑顔で挨拶してくるパン屋のおばさん…今日はいないな。
そんなことを考えながら、同じ道を行ったり来たりして、たまにいつもなら曲がらない道を曲がってみたりして、重い足を引きずりながら歩いていた。
右手には、玄関から無造作に取ってきた傘。茶色くて、傘のふちには白の模様で猫の足跡が描かれている。誰のだろう。こんな傘、いつ買ったんだろう。少なくとも、お母さんの趣味ではない。でも、可愛い。私の好みだ。
雨は細かな霧のようで、相変わらず優しく頬を撫で続けていた。目を閉じるほど激しくもない。髪が濡れるほど大きな雨粒でもない。なんで傘なんて持ってきたんだろう。そんなことを思いながら歩いていた。けど、あんな雲を見てしまったから。きっとこれから強くなるに違いない。コンビニの傘立てに猫の足跡の傘を置いていきたい衝動を抑えながら、また歩き出した。
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