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雨はそれ以上強くなることはなく、右手に握りしめた傘を開くタイミングをつかめないまま、犬の横で黙って座っていた。
真っ黒な犬の毛は、雨に濡れてとてもツヤツヤしていて、冷たそうだけどとてもきれいだった。大きな黒い目が、たまに私の方に動く。けど、それだけだった。
首から下がっている細くて小さな銀色の鎖も、雨粒でキラキラと光っていた。こんなにきれいなもの、お母さんの宝石箱の中でも見たことがない。
「それ、誰にもらったの?」
「いつから、ここへいるの?」
「寒くない?」
犬は、返事をしない。でも私は、なぜだかわからないけど、犬に話続けていた。
「私はね、お母さんと喧嘩をしたの」
「私が友達に貰った、大切な手紙を、ゴミだと思って捨てちゃったのよ」
「ひどいと思わない?」
「そもそも、なんで私の部屋に勝手に入ってくるの?掃除なんて、誰も頼んでないのよ」
「お母さんはね、昔から、いつもそうなの」
「勝手に私の空間に入ってきて、私のものを取っていくの」
「ねえ、ひどいでしょう?」
犬は、やっぱり返事をしない。けれど、黙ったまま、大きい黒い目だけは私を見ていた。黒い髪と黒い目が混じりあって、吸い込まれそうになるけど、すぐ下のキラキラ光る細い鎖が、私を引き戻した。
「今日は、もう家に帰らないことにしたの。私がどれだけ怒っているか、どれだけ悲しんでいるか、お母さんに伝えるには、きっとこれしか方法がないのよ。でも、迎えに来てくれたんだったら、少しは考えてもいいけど…」
そう口にして、私が下を向いた瞬間、犬は私の顔を覗き込んだ。けどやっぱり、何も喋らない。犬の黒い目と私の目が重なって、そのうち細い鎖も見えなくなって、私が犬になったようなおかしな気分になってきた。
「そんなに見ないでよ」
私が目をそらしてそう言うと、犬はまた、始めに見た時と同じ姿勢になって、まっすぐにベンチに座り直した。
公園を囲う木の葉っぱが雨に当たって、パラパラと音を柔らかくしていた。街をさまよっていた時のアスファルトの匂いとは違う、温かい匂いがした。体の芯まで届くような、大きく息を吸い込んだら私も木になってしまいそうな、優しい匂いだった。
白い制服、硬い道路、大きな機械のような学校の校舎。窮屈だった気持ちがスルリとほどけて、小さな頃の――毎日泥だらけだった自分に戻ったような気もした。
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