〈1〉

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ほぼ溶けきっているバターが染み込んだパンを手に取り辺りを見回すもお目当ての物がないのに気づく。 「イリス、今朝はジャム無しか?」 〈申し訳ありません 今夕、十六時には届きますので 今朝はご辛抱ください〉 パンを齧り甘く広がるバターの香りと、しっとりとした食感を味わいながら、ゆっくりとコーヒーを流し込む。 「構わないよ、たまにはバターだけというのもいいものだ。」 〈恐縮です ではごゆっくり〉 * * * * コーヒーにパンにベーコンエッグ 朝の定番だがどれも無いと寂しいものだ。 食事を終えすっかりぬるくなってきているコーヒーを飲み干すと同時に女性が空いた皿を回収しにきた 女性は終始笑顔で何も言わずに黙々とテーブルの上を片付けていく。 綺麗にテーブルを拭いた後、ただ隣で立っていた。 〈何かお飲みになりますか?〉 女性が話したとでも思いたかったのか、言語を知らない彼女には到底不可能な事だ。 「……アイスコーヒー」 何も言わずに立ち去り、数分後にアイスコーヒーが目の前に置かれた。 役目を果たした彼女はまた消えていく。 〈マスター、本日の予定です〉 よく冷えた、だが冷えすぎていないアイスコーヒーをひと口飲み、慣れた様子で 『続けて』 と、声に耳を傾けた。 〈本日、3名のクライアントがいらっしゃいます。 1人目は28歳女性  都内在住 依頼内容は夫の身辺調査 2人目は32歳男性 都内在住 依頼内容は飼い猫の捜索…〉 ダンッ‼︎ 声を遮るように持っていたグラスをテーブルに叩きつける。 その反動で中のコーヒーが波を打ち、跳ね上がり、テーブルに少し溢れ落ちた。 テーブルに出来た小さな水たまりを見つめ、 しまったという顔をしているうちに 早々と物言えぬ彼女が拭き取りに来た。 〈…如何なさいましたか?マスター〉 主人を気遣う姿ない声に対して、少しムッとした表情で 「もっとマシな内容はないのか」 と、アイスコーヒーを飲み直しながら尋ねた。 せっかちな主人に苛立つ事もなく、主人の問いに答える事もなく、一定の音程で淡々と話し続ける。 〈3人目は 10歳の女の子 所在地不明 依頼内容は  手紙〉 グラスを傾ける手が途中で止まった。 「3人目の詳細を」 その言葉と同時にテーブルの真ん中には小さなバーチャル映像が出現した。 映像には長い栗色の髪にこの季節には合わない向日葵のピン留めを付け、花柄のワンピースを着た10歳の女の子が映し出された。 〈名前は 渚 愛莉 10歳 所在地不明 10日前に1通の手紙が届いたそうで、 その手紙を調べてほしいという内容です〉 女の子の映像をまじまじと見つめながら、 傾けていたグラスを少しずつ動かし 少量ずつコーヒーを口に含んでいく。 ある程度飲み終えたらグラスを静かにテーブルに置き、小窓に視線を移す。 白い壁にまるで空けられたかのような小さな窓には済んだ青色が映えていた。 脇に置かれた小鉢の緑葉が更にその景色に似合っている。 ただ、その小鉢はやけに哀しそうに見えた。 まるで、澄んだ青に恋焦がれているかのように。 〈…マスター〉 少しぼーっとしてしまったようだ。 遠くに感じたイリスの声がだんだんとはっきりしてきた。 〈マスター如何なさいますか?〉 聞かれた問いに対して情報を与え、それに対しての反応が悪く、その理由が主人が物思いにふけていたとしても彼女には関係の無い事だ。 そう 「イリス』にとっては。
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