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昼下がりの巡り喫茶はぐるまは、珍しく閉店している。
この喫茶店のマスターである海野健次は、黙々とメレンゲを作っている。40半ばの彼は、歳が20ほど離れた奇子という恋人と同棲している。
彼女は文学専門学校へ通っている。今頃学校で勉強をしているだろう。
『ふふっ、熱心ね』
着物を着た女性は、海野のまわりを浮遊する。
彼女はヤオ。はぐるまに住み着く、お節介な八百万の神だ。
「うるせェよ……。向こう行ってろ」
『きゃー、健次さんが怒ったー』
ヤオは楽しげに言いながら、壁をすり抜けて消えた。
「ったく、茶化しやがって……」
海野はメレンゲに砂糖やアーモンドプードル、ココアパウダーを混ぜる。
焦げ茶色のメレンゲを絞り袋に入れると、海野はあらかじめクッキングシートを敷いた天板の上に、均等にメレンゲを絞り落としていく。
オーブンに入れて焼き始めると、今度はチョコレートを刻み始めた。市販の板チョコを3枚刻むと、鍋に生クリームと共に入れて火をかける。
チョコレートが溶けきるまで混ぜると、海野は鍋にふたをしてカウンター席に座り、煙草をくわえる。
静かな店内に燐寸が擦れる音が響く。
『ねぇ、健次さん』
ヤオはどこからともなく現れると、海野の隣に座った。
「なんだよ?」
海野は煙を吐くと、チラリと横に座るヤオを見ながら聞く。
『奇子ちゃんのお母さんには、何か作らないの?』
「……」
煙草を口に運ぼうとした手が止まった。
『……忘れてたのね』
「あぁ、きれいさっぱり忘れていた。そうだよなァ……、どうするか……」
海野は無造作に、寝癖だらけの頭を掻く。
『いつ渡せるか分からないものね』
「奇子が帰ってくれば渡せるだろうが、あちらさんの都合もあるだろ」
『それもそうだけど、健次さん? 大事なこと忘れてるわよ?』
「大事なこと?」
海野は腕を組んで視線を宙にさ迷わせながら考えたが、皆目見当もつかない。
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