二章/その夜

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二章/その夜

玄関のドアをいつもの様に引けば、無機質な音と共に頑なな抵抗を示された。鍵のかかった家が物語る母の不在に、我知らず面食らう。あの人、外に用事がある日なんてあるんだ……。そう驚きながら、生まれて初めて家の合鍵を使った。 家の中の深海のような静けさはいつも通りだが、常に母がいた居間に光が灯っていないことがひたすら不思議だった。恐る恐る電気をつけたはいいものの、暫くスイッチの横から動けなかった。あの人の身勝手にかき乱される事が恒常化していた私にとって、母のいない穏やかな夜は不気味この上ない。その薄気味悪さから、根拠の無い胸騒ぎが心臓の底でぐらぐらと煮えていた。 夕食を得るために冷蔵庫を物色し、消費期限間近の食パン一切れを片手に階段を登る。自室の扉を開けば、何故かベランダに続いているガラス戸が開いていた。私は戸を閉めてから登校したはずなのに。冬の凍える様な風がカーテンと踊っていて、月がそのステージを照らしていた。胸騒ぎが、手首に蔓延る痛みをかき消す。胸の早鐘が警鐘を鳴らす中、学生鞄を床に、パンを机に放った。 脈動が鼓膜に主張する中、ベランダに近づき、戸を閉めようとする。しかしその前に、ベランダの柵に一輪の青薔薇がネイビーのリボンで結び付けてあるのを見つけてしまった。怖々と近づくと、リボンの一端に灰色のメッセージカードが付いている。するりとそれを解いて薔薇とリボン、カードを手に取ると、月光で雅やかに艷めく金文字がこう語りかけた。 『籠の小鳥へ。貴方がこの薔薇を受け取ったその時、その人生を頂戴します。怪盗ラメール』 ……怪盗ラメール。最近とある大手商社の経営者宅に泥棒が入ったと、大々的にニュースになっていた。予告を出しながら見事犯行を成功させ逃走した、大胆不敵なその泥棒は『怪盗ラメール』と自称したと。そしてその後、泥棒に入られた経営者が幾多の暴力団と内通していた事が明らかになった。同時期、日本各地の孤児院へ匿名の寄付があった事から、世間は勧善懲悪の盗人だと報じた。どうやら怪盗ラメールとは、世界中を飛び回る義賊だったらしい。帰路の電車内、端末の電子ニュースで見た記事を想起した。青薔薇に視線を流ししばらく観察する。
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