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(一)
序
陰とは暗黒。生きるものを黄泉へと引きこむ死、或いは祟り神。真性は喰鬼。憑代については生肝を食し、黒霧となって陰風にのり、人心を荒らし、病を流行らせ、地を穢し、大気を濁らせ、この世を暗黒へと落としめる悪しき息。
その陰の、不浄の息を見抜く眼と、祓う翼、引き裂く爪を持つものがいた。
陰狩の鷹である。
◇◇
「う…あ……兵庫…さま……」
白濁をほとばしらせながら、男が情にうるんだ眼をとじる。汗に濡れたこめかみの白さが囲炉裡火のほの暗い光を弾いて、後ろから抱いている鷹見兵庫介の眼を射た。
引き締まった男らしい、だが今は猥らに開いた唇の下に米粒ほどのほくろが一つ。身の丈五尺八寸。細身ではあるが、鍛えこまれた体躯は筋肉を盛り上げた猛々しい兵庫介のそれと比べても劣らぬほどのしぶとさを備えている。
兵庫介は、意識のない裸体を逞しい腕に巻きしめ、男の後ろ門に深々とうめていた男根をひきぬき、二度三度大きく突いて胴震いした。
「お半」
抱き込んだまま、がっしりした腰をうごめかせて見事な腹筋を引き絞る。最後のひと雫までも、すべて男の内に注ぎこんで、ようやく充足の息をついた。
汗にまみれた満足げな顔は、まだ若い。二十を少し出たくらいであろうか。秀でた額、高い鼻梁。眉は濃く、目許は涼しい。生まれのよさが窺える整った面立だが、線の細さは微塵もない。ゆらめく囲炉裡火に照らされた頑丈そうな顎には、朝剃った髭がもう薄らと生えている。
兵庫介は腰を繋げたまま、囲炉裡端に敷いた夜具の上に横になった。腕のなかの男——十も年嵩の女房、邑井半太夫の白いこめかみに張りついたおくれ毛をいとしげに梳く。
初代征夷大将軍、九曜家成より、永代鷹匠支配をゆるされた鷹見家では、忠実な従者——特別な側近を「女房」と呼ぶ。かつて楢芝一と謳われた手練の忍び——半太夫は、連れ添って七年になる兵庫介の女房だ。陰狩の旅に出て六年余、その技は衰えるどころか凄みをまして冴え渡っている。
その、獣のように眠りの浅い、用心深い女房のあられもない寝姿は、十も若い亭主を幸福な心持ちにさせる。夜を通して隠形結界をはり、それを崩さぬ鋼の男を、今はこうして腕に抱いて護っている。
暖かなものが、ひたひたと胸をひたすのを穏やかな思いで噛み締めつつ、兵庫介は半太夫のしこったままの胸乳をまさぐり、白濁にまみれた男を握り、剃毛した下腹をいらう。
(お半が眼を覚ましたら、もう一儀……)
思うだけで、吐精したばかりの男根が漲りだす。
兵庫介は舌を突き出して白い耳たぶをねぶり、筋肉の上にしっとりと脂肪ののった存外柔らかな臀を撫でさすった。毎夜抱いて丹精した、いとしき躯である。
(お半……)
我知らず、ゆっさりと腰が動く。濡れた音をたてながら一物を引きだし、またゆっくりと挿し入れる。
(たまらぬ……)
たっぷりと精を注ぎこんだ肉管は、ぬるぬると素直に兵庫介を呑み込んでゆく。もっと深く繋がりたくて、半太夫の長い脚を後ろから抱え上げる。
「……お半」
鼻息を荒くしつつ、うなじを舐めしゃぶる。
——と、そのとき、兵庫介の半眼に、ふっ、と焔色が灯った。
(……おる、な)
小屋をとりまく夜闇の奥の、かすかなゆらぎ。それが陽なるものか、陰なるものか。哀しきものか、禍々しきものか。兵庫介の皮膚は、敏に感じとる。
闇の奥からずるりずるりとこちらへ近づいて来るものは、禍々しき気をまとっている。
(一町ほどか。なればまだ、時はある)
眸子に焔の色を灯したまま、兵庫介はゆったりと腰をつかった。意識のない肉管は、締めたり緩めたりしてくれぬが、精にぬめる熱い柔肉に擦れるだけで、えも言われぬ心地は味わえる。
半太夫の首許に鼻面をおし当て、汗の匂いを嗅ぐ。そうしながらも腰をうごめかせて隆々たる一物を出し入れする。
「む……う」
下腹に淫蕩の潮がじわりと満ちて、兵庫介は片目をつぶった。潮が騒ぐにまかせ、烈しく突きあげたい衝動にかられたが、それをやっては半太夫の躯が傷つく。
その上、そろそろ十五間ほどまで、あれが迫っている。
「ち……」
兵庫介は舌打ちし、吐精へ向けて動きをはやめた。本当なら、目覚めるまでゆっくりと肌を愛撫しながら楽しむつもりであったのに、とんだ邪魔ものである。
意識のない躯に押しかかり、腰をゆすりながら精を注ぎこむ。薄くあいた唇に舌を入れてねぶりつつ、未練たっぷりな思いで男根を抜きとった。
「お半」
小声で呼んだが、よほど深く意識を手放したものらしく、ぴくりともしない。
(眠っていろ。すぐ戻ってくるゆえ、な)
兵庫介は微笑み、眠る裸体に桑染めの小袖を掛けてやった。
囲炉裡火だけの暗がりのなか、濃いうぶ毛がくるりと渦をまいたがっしりした背中に、黒羽二重の小袖をはおり、野袴をつけて身支度する。弓手(左手)をのばして愛刀・鬼爪丸を取り、野生の虎を想わせるしなやかな足取りで音もなく土間へおりる。
樵から借り受けた小屋は、囲炉裡を切った六畳ほどの板間に、竈を備えた四畳くらいの土間があるきりの、ほんの小さなものだ。
兵庫介は木戸をほそく開けた。日が暮れると梟の声しかしない山の中だが、今はその声も途絶えている。
戸外へ出るや、すぐさま後手で戸を閉める。
月影もない真っ暗闇——。
凄まじい瘴気。さらには反吐が出そうな悪臭。兵庫介の濃い眉が、不快げに顰まる。鷹眼をひらいた兵庫介の五感覚は、常人が拾わぬものをも拾ってしまう。
巨大な黒いかたまりが闇にまぎれて、じっとこっちを伺っている。距離は五間ほど。
生臭い風が、辺りの木々をざわざわと鳴らしている。
(ほう——)
髭の生えだした顎を撫ぜながら、鷹眼を細める。常人には鼻を摘まれてもわからぬ闇だが、兵庫介には黒いかたまりも、その中で蠢いているどす黒い霧も見えている。
その黒いかたまり、見上げるような大兵と思ったが、よくよく見ると頭が三つある。鼻が曲りそうな悪臭から察すると腐乱した屍が三つほどもくっついているらしい。
「たいそうな剛力じゃの。うぬの前生は、熊か?」
いらえは無い。
「ま、よい。ついて来るがいい」
兵庫介は懐手のまま、戸口を離れた。
ずるりずるりと腐肉を引きずりながら、屍のかたまりがついてくる。兵庫介の発する「匂い」に引き寄せられた、食欲だけの下等な「陰」と思われたが、油断はできぬ。食うことへの執着は、なによりも強く凄まじいからだ。
「どこで拾うた、その屍?」
ついてくる陰へと問いかけ、くくと咽の奥で笑う。
「答えられまいな。口がもげているゆえな。だが、わしの肝を喰らう口は、ついていようが」
兵庫介の鷹眼が、炯々と杜闇を見据える。
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