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和菓子店
バレンタインデーが新田にとってこの世から跡形もなく消え去って3年が過ぎた。
いつものように新田は行きつけの女将の店で盃を重ねている。
たまたま隣に居合わせた初めての男性客と意気投合していた。
その客は和菓子屋の主人で、新田が洋菓子店の三代目だと知り、熱心に話し込んできたのである。
「私はね。和菓子の売上が伸び悩む夏場をなんとかしたいと考えているんですよ」
2月の稼ぎ時を失った新田にとっては洋菓子店をなんとか維持するだけで精一杯で、和菓子屋のその客の商売への熱意が眩しく感じた。
なんだか良い気分になって、ついつい聞き上手になっていた。
「私はね。7月7日の七夕の日に女性から意中の男性へ最中を贈るっていう習わしができないかな?って取引先と以前から協力して進めているんですよ」
「最中を?女性から男性へ贈る?」
忘れようとしていた苦い新田の記憶をほじくり出されている気分だった。
「私はね。最中には餡が入っているでしょ。餡と愛ってゴロが似てるでしょ、その餡の愛を外から見えないように皮で覆ってるって、なんか奥ゆかしいっていうか大和撫子って感じでしょ」
すっかり出来上がっている和菓子屋の客は、楽しそうに語りながら新田の盃に酒をすすめた。
「私はね。もちろん商売のためでもあるんですけど、女性から告白できる絶好の機会になれば良いなって思ってるんですよ」
「それはまさにバレンタイン・・・いや、なんでもないです」
新田はつい口を滑らせたが、久しぶりに口にする言葉だった。
「ん?なんですか、そのバレなんとかって?」
「いやいやなんでもないです、忘れて下さい。それより洋菓子でも、そんな素敵なイベントをやってみようかな」
新田は和菓子屋の客にアイデアの拝借の了承を念のため取りつけておこうと感じた。
「私はね。ん?洋菓子でも?うん、それは良いですね、ぜひ洋菓子でもやって下さいよ」
和菓子屋の客は熱心に話を聞いてくれる相手が珍しかったのか上機嫌で新田を励ました。
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