男女関係は突然に始まる

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やはり今日は来るべきじゃなかった。そんなことをふと思う。店内はいつもよりもカップルが多い。カップルではなくても、こんなクリスマスに一人で来店する客はいない。少しは気晴らしになるかなって思って来たけど、逆効果だった。しかも帰ったら真っ暗な部屋の灯りを一人でつけるのだ。「ただいま。」と言っても、「おかえり。」と言ってもらえない家で。 帰ろうかなと言う思いが頭によぎった時に、カクテルグラスからふと視線を上げたら目の前に大和くんがいた。 「お酒、入れ直そうか?」 「うん。」 聞かれると断れなくて頷いていた。彼は最初、私に敬語を使っていた。自分の方が年下だからと。でも、やめてと言った。息抜きに来ている店でまで自分の年齢を意識したくないし、先輩後輩みたいな雰囲気になるのも仕事場のように感じて嫌だった。 それから彼は、私に敬語は一切使わない。ゆるい関西弁で話しかけてくれる。 「今日、お客さん多くてバタバタしててごめんね。こんな時に限って菅沼さん休みなんだよね。」 まあクリスマスイブだから仕方ないかと言いたげに、大和くんは眉を下げて苦笑した。 菅沼さんと言うのは、このバーで大和くん以外の唯一の従業員で、週に3回、客の多い午後9時から午前0時にアルバイトとして雇われている。年齢は30歳で本職はウェブサイトで漫画を描いているそうだ。ウェブサイトの中ではかなり人気の漫画家らしく、別にここでアルバイトをしなくても十分に稼げるらしい。 じゃあどうして?と思うが、「漫画を描くために人間観察をしたいので雇って欲しいんです。仕事は真面目にこなすんで。別に待遇に希望もありません。交通費も出せないって言うなら、それでもいいですし。」と言って、履歴書を持って来たそうだ。普通なら追い返しても可笑しくないような志望理由だ。でも、大和くんは大爆笑して採用したらしい。「そういう人、大歓迎です。」と言って。
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