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ずりずりと触手ごと引きずって、塀を掴ませてやる。
プールサイドへ上がるようにして、彼女は勢いよく這いあがった。
触手たちは名残惜しそうにしながらも、高さ一メートルの塀までは
ぎりぎり届かないようだった。
やがてゆらりと歪んで、ぼちゃりと崩れ、夜の暗さに混じった。
屋上は「何にも起きていませんよ」と静かに澄ましているようだった。
「ふう、生き延びたな」
ため息をついて塀の上に座り直した彼女は、横たわっていたノートを取り上げて
ちらりと目を通した。
「……まあ、あまり気を落とすな。売れないミュージシャンなんてこの世に星の数ほどいるさ」
「い、いやフラれたの僕じゃないんだけどね」
しかも慰めの方向性を間違っている。
女の子にしては低めに落ち着いている、透き通った声だった。
さっきまでは触手が口に突っ込まれていたせいで活舌がいまいちだったのだ。
「でもお前のノートだろ」
「あ、ありがと」
僕がノートを受け取って鞄にしまったタイミングで、今日一番の風が吹いて、
勢いよく空気をかき混ぜた。
ぐらり。
僕はバランスを崩して塀に手をついた。上半身が屋上の外へ乗り出す。
一瞬で変わる景色に、血の気が引く。
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