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 七月になった。  ある日、権中納言・藤原隆家がずっとそわそわしていた。  朝議が終われば隆家はそのまますっ飛んで行った。  行成は思わず経房と顔を見合わせた。  今日か。  その様子を権大納言・藤原実資、中納言・藤原公任らも見ていた。 「参議になったとはいえ、中将は中将。侍従は侍従じゃ。二人が帝のお側から同時に離れてどうする」  実資にそう言われると隆家に続いて出るわけにはいかない。  行成は経房だけでも追わせてやりたいと思うが、経房は経房で下襲の裾をいつの間にやら大納言・藤原道綱に踏まれていた。気づけば自分も、権中納言・藤原斉信に下襲の裾を踏まれて動けなくされた。 「我が弟の中納言の飛び出しよう、左大弁さまも宰相中将さまもご存知のようだが」  美しい声がして、今年から大納言の上、大臣の下の席次を与えられて朝議に復帰して「儀同三司」と名乗る藤原伊周がやってきた。  おまけにその後ろには、なんと帝のお手を取って左大臣までやってきた。  まずい。  一同は再度帝の前に円座した。  帝の、何か面白いことでもあるのか、という顔は、これまたいたずら好きだった后の宮がおられたときのようである。  斉信がさっと敷物を帝に差し出し、道長が言った。 「我が子よ、知っていることを話すが良い」  横で同じく頭を下げている経房がたらりと冷や汗を流しているのが行成にもわかる。「自由気ままな貴公子」のようでいて、経房ほど肩身の狭い男は内裏(ここ)にはいない。藤原氏の母を持つが父は左遷された左大臣源高明である。同母姉が左大臣の側室になり、その縁でまだ幼いと言って良かった弟の経房は左大臣の猶子になった。  経房が答えた。 「昨日、前の摂津守の七七日(なななぬか)が明けました」 「前の摂津守じゃと?」  受領が一人死んだ。それがあの隆家にどう関係するというのだろうか。と道綱が訝しんだ。  「清少納言か!」博覧強記を誇る実資が手を打ち鳴らして言った。 「例の摂津守は清少納言の夫でしたな」と公任が答えた。 「今日、お隠れになった后の宮に仕えた清少納言が子らを抱えて摂津を出発するであろうと思われます」  行成が頭を下げたまま奏上した。 「枕草子に、后の宮のことを書き残してくれた、あの清少納言か」  懐かしそうに帝が呟いた。 「摂津から京はそう遠くはありません。しかし、女の一人身で摂津から全財産を持って幼い子どもを連れて帰京するのでございます」経房は必死に奏上した。 「摂津の国を出るまでは摂津の介が面倒を見ましょう。しかし、その後。山城の国に入ってからは困難が伴いましょうぞ」 「中納言は、供をするために出て行ったのか」斉信が誰にともなく言った。 「清少納言の喪が明ければ、かの者を中宮さまに出仕するように命じる予定でございます」  道長が帝に奏上した。  しかし、帝は思案するようにゆっくりと答えた。 「いや、あの清少納言。朕も以前内侍になるつもりはないかと人をやって問わせたことがある。主君は后の宮ただ一人と答えて夫の元に降ったのである。左大弁、そうであったな。無理に出仕させるのは良くないと思わぬか」  これはまずい。  行成は少し慌てて言った。 「恐れながら申し上げます。女の一人身で幼い子を二人も抱えては生きて行きにくいものでございます。夫を亡くした今なら、再度宮仕えをする気にもなりましょう」 「そういうものであろうか。かの者ならば、中宮の元にいる姫宮の良い師になろう」  帝は柔らかく答えた。  女一の宮は故皇后定子の遺児である。帝はこの内親王を目に入れても痛くないほどの可愛がりようである。 「宰相中将、頼みがある」  伊周がさっきまでの慇懃さはかなぐり捨てて経房に言った。 「急ぎ我が弟を追いかけ、摂津からの一行を我が二条第に入れるように伝えて欲しい」 「二条第、でございますか」経房が訝しげに答えた。  故宮が使った二条宮の南部にある室町第を伊周は使っていた。二条宮が焼け落ちる前には、「二条第」と言っていた。しかし、二条宮が焼け落ち、宮も亡くなり、大宰府に左遷され、ようやく帰還してからは、室町通りに面しているからと、「室町第」と呼ばせたのはこの伊周本人だったくせに。  伊周は優雅に、しかしわざとらしく袖を目に当てて言った。 「皆さまはご存知ありますまい。主人が遠方にいるときの京の旧宅の荒れ模様を。誠に、城春にして草木深し、の有り様です。しかも今は夏。どれだけ草木が生い茂っていることやら。人も動物も勝手に住み着いていることでしょう」  やはり帥殿は帥殿よ、と行成は思った。  伊周は一度は京を追われた人である。わざわざ「二条第」と言い、自らを追わせた帝と左大臣にチクリと針で刺したいのだろうが、あれは自業自得というものである。                  
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