失われた記憶

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 多少の疑問を抱きつつも、下手に手を出して邪魔をするのも(はばか)られたので。わたしは大人しく、任されたことをまっとうする。 「ありがとうございます。それで、最後ですよ」 「はい」 「紅茶で良いでしょうか? 淹れますので、飲みながら話しましょう。もうすぐエルサさんも来られる頃でしょうから、一緒に向こうで待っていてくださいますか?」  エルサさん……おそらく、昨日の女性のことだろう。  そう判断し、私は彼に頷いてみせた。 「あ、はい。ありがとうございます」 「いえ。申し訳ありませんが、エルサさんのお相手をお願いします」  肩を竦めながら、お茶目に頼まれて。二人でくすりと笑いあう。  頷き、わたしは先に調理場を出た。  するとそこには、タオルで髪を拭きながら欠伸をしている女性が立っていた。 「お、セナ。よく眠れたか?」 「は、はい」  彼女が昨夜に出会った女性だということは、すぐにわかった。  長いブロンドの髪が濡れて、艶やかだ。どうやら、シャワーを浴びてきたらしい。  昨夜は左分けに流されていた長い前髪が、タオルによって今は無造作に顔を覆っている。それをスッとかきあげて、無意識か――こちらを流し見る綺麗な緑の瞳に、どきりとした。  そんな色気のある大人の表情も、しかし。女性は纏う雰囲気をぶち壊すかのように、次の瞬間には豪快に笑ってみせていた。 「何だよ、何だよ。ぎこちねえな! やっぱりわからねえのか? あたしのこと」 「す、すみません……」 「ま、良いけどよ。なあ、あいつ、奥にいるのか?」 「そうですよ! すぐに行きますから、セナさんのご迷惑にならないように、静かに待っていてくださいね!」 「あいよー!」  彼女の声が調理場まで聞こえていたらしい。  彼から投げかけられた言葉に、女性は気の抜けた返事をしていた。 「よいせっと。ったく、子ども扱いしやがって……」  ぼそりと、独り言だろう。唇を尖らせながら、呟いて。どかっと席に着き、長い脚を組む。  とても綺麗なひとだ。同性のわたしでも、思わず見惚れてしまう。 「セナも座れよ。遠慮するな」 「は、はい」  にかっと笑うブロンド女性の、向かいの席に座る。滴る水が、妖艶だった。 「またエルサさんは……髪はきちんと乾かしてください」 「あん? めんどくせえ。トーリがやってくれるだろ」 「それくらいは自分でなさってください」  少年が香り高い紅茶を運んできてくれた。すーっと吸い込むと、それだけでほっとして、顔が綻ぶ。 「良い香り……ありがとうございます」
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