失われた記憶

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 背に腕を回し、歩けるように促してくれた。 「大丈夫か? 気をしっかり持て」 「は、はい……」 「二階はダメだ。どこもかしこも、こんなんなってやがる。下に行くぞ」  そう言ってエルサさんは、階段へとわたしを誘導した。  わたしに合わせてゆっくりと下りていきながら、辺りを警戒するように見回している。  そうして連れられて行ったのは、リビングルームだった。  そこには、エルサさんの連れの少年、トーリくんがいた。 「セナさん! 良かったです。ご無事だったのですね」 「ああ、見に行って良かったよ。こうやって口押さえたまま、廊下へ倒れそうになっていやがった」  未だに口元を両手で覆っているわたしを見て、エルサさんはふうと息を吐く。 「どうやら、一階に異変はねえらしい。とりあえずは落ち着け、な?」 「は、はい……」 「どうぞ、水です。落ち着きますよ」  差し出されたコップを受け取ろうと、右手を伸ばす――が、震えて持つことができない。  片手ではだめだ。とにかくと、ソファーに座って、わたしは口元から左手も離した。  その瞬間―― 「――セナ……?」 「セナ、さん……?」  二人が私を見て、驚愕に目を見開いていることに気付く。  いったい何に驚いているのだろうか。  どうして、わたしから距離を取るのだろう。  ――その答えは、引きつりながらも歪んだ女の口元から、発せられた。 「セナ、あんた……なんで、この状況で――」  ――そんな愉しそうに、笑ってんだ? 「え――?」 「まさか……気付いておられないのですか?」 「とんだ女だよ、あんた! あの血だらけの廊下で、ずっとそうやって笑ってたってのかよ!」  二人は何を言っているのだろう。  わたしがこんな時だというのに、笑っているというのか。  そんなこと、あるわけが――そろり、両手を口元に当てる。  つつつと、指で唇の形をなぞって、そうしてようやく理解した。  わたしは、笑っている―― 「どう、して……?」 「どうしてだって? はっ、あたしが教えて欲しいね。――まさか、あれをやったのはあんたか? セナ」 「え――?」 「ボクたちが戻った時には、既にあの状態でした……他に成し得ることが可能な人なんて……」 「ま、待って……待ってください! わたし、そんなこと――!」 「じゃあ何で笑ってんだ。あんた、普通じゃねえよ」 「そんな、こと……」  誤解なのに。わたしにだって、わからないのに。  二人の目が、猜疑に染まる―― 「ってえことはよお、記憶がないってえのも、本当は嘘なのかもなあ……」
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