283人が本棚に入れています
本棚に追加
このひとに嫌われたと思う。それだけでも悲しいのに。
憎まれて、蔑まれて――そんな中で、どうして逃げられようか。
どうして、一人で生きられようか……。
「――だったら、殺して……」
呟きは、するり。思っていたよりも簡単に、喉を、唇を擦り抜けて、音になった。
「何?」
険しい顔が、更に皺を刻む。
わたしは吐き出すように、言葉を放った。
「キーツ、あなたが本気なら、わたしを殺して……何もわからないわたしを、あなたが欲しい答えをあげられないわたしを、殺して――わたし、何を言われているのか、全然わからない。ここはどこ? わたしは誰? あのひとたちは何? 何を言ってたの? あの廊下は何? 転がっているのは何? 噂って何? ここで、この館で、いったい何が起こってるの? わたしは、わたしは……あなたに、いったい何をしたの――?」
壊れた涙腺は、捻ったままの蛇口。
残念なことに、蛇口は自分で水を止められない。
――わたしは、涙が涸れるまでこのままなのかもしれない。
そんなことを本気で思ってしまえるほどに、ぼろぼろと。それは、止まることを知らないようだった。
「……確認ができるまでは、お前を生かしておいてやる」
「え――?」
見上げた瞳は、相変わらずわたしを睨みつけていて。けれど、眉間の皺はどこか辛そうだと、わたしの目には映った。
「勘違いするな。お前が噂の人物だと確定したその時は、殺す」
「キーツ……」
「俺は犯罪者ではない。間違いで人を殺すようなことだけはしたくない。だから、お前の記憶が戻ったその暁には、必ず今の問いに答えろ。逃げることは、許さない」
問い――この館を眠れる森の赤い館にしたのは、お前か。
いったい、どういうことなのだろうか。
赤、館――そういえば、あのふたりも噂がどうとか言っていた。
――あんたが噂の、猟奇殺人犯なんだろ。
――この館を真っ赤に染め上げたのですから。それが、何よりの証ですよね。
「眠れる森の赤い館って、いったい……」
「……この館に関する噂だ」
「噂……?」
「昔はただの森に囲まれた静かな洋館だった。だが、今は違う」
「キーツ……?」
彼は、どこか遠くを見つめるように壁へ視線をやった。
その表情は、見ている者の胸を締め付けた。
「……つい最近だ。ここが惨劇の館――猟奇殺人鬼の亡霊が棲む洋館だという噂が、立っている」
「え――」
女が言っていたのは、このことだったのか。
少年が言っていたのは、このことだったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!