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ホワイトデーは3倍返し
皆も知っているルールがあるだろう。バレンタインデーに贈られた者に課せられる過酷なルール「お返しは3倍返し」。その使命を全うするために、俺は妻に気取られぬよう有給休暇を取り、いつも通り仕事に行くふりをした。そうしてスーツ姿のまま彼女へのお返しを考えているのである。毎年の恒例行事ではあるが、もう数十年も連れ添っていると何をあげたらいいのか迷い物だ。上司に聞いたこともある。奥さんにバレンタインのお返しって何をあげてます?そうしたら、バレンタインにものを貰ったことなど一度もないとのこと。加えて「君40にもなってバレンタインやホワイトデーに浮かれてるの?あれチョコレート屋の陰謀だよ」と死んだ目で言われた。上司はそうは言うが、俺はチョコレートを贈られたのは数回しかないし、チョコレートをあげたことはない。バレンタイン=チョコレートだと思っている発想力のない残念上司に聞いたのは間違いだった。若者のこの手の話はあまり参考にならないし。結果、俺はスーツ姿のままふらふらとさまよい歩いた。洋菓子屋、アクセサリーショップ、洋品店、靴下専門店、ドンキ、駄菓子屋、デパ地下、駅の構内、公園、河川敷。どれもこれもピンとくるものがない。ひとつため息をついて河川敷に座る。のんびりと流れる雲はソフトクリームみたいだと子供ぽいことを思った。そこに風に乗って音が聞こえてきた。ギターのクラッシックな音。ああ。学生時代俺もギターを弾いたな。耳を傾ける。所々つまづいたり、動きが止まったり、上手ではなかったけれど懸命に弾こうとしているその音に心を打たれた。下手だっていいじゃないか。そこに気持ちが籠っているのなら。よし決めた!妻に歌をプレゼントするぜ!意気込んだ俺は早速妻に送る歌詞を書き始めた。
ホワイトデー当日の夕食後
俺は家にあったギターを手に嫁さんを前にどんとソファに座った。足を組んでキラリと視線を向ける。彼女は俺のそれで察したのか、くすくす笑いながら俺のほうに向き直った。床に転がりながらきらきら光るキャラクターを全力ダッシュさせていた息子は胡乱げな表情でこちらを一瞥したが直ぐにゲーム画面と向き直って、近くにあったイアフォンを耳に突っ込んだ。じゃんと弾くと妻が拍手をする。こほんと咳払いをひとつ。
「あー今日は俺のために集まってくれてありがとう。これは俺が自分の妻に書いた一曲です。聞いてください。味噌汁は大根派」
妻はソファに置かれたクッションを抱き寄せてふるふる震え始めた。ギターをかき鳴らす。
「あぁ、愛子。俺の、愛する愛子よ。
目が覚めると、香る、匂い。
それは、みそ。それは、味噌。
愛子の味噌汁。
わかめが好きだという俺に、大根が好きという愛子。
毎日出てくる味噌汁は、大根!大根!大根!!
今では、俺も、
大根派!」
じゃんじゃかじゃんじゃじゃん
「センキュ!」
熱唱した後にウィンクを妻に送った。
「あはははははっ!あいっかわらず歌が下手!」
「そこ!?結構考えたんだよ俺!」
「んー今回もやっぱり3倍返しには遠いかなー」
「くぅ!愛子はズルいんだよ。目が覚めて一発目だから威力半端ないんだよ。用意されてたTシャツ、死ぬかと思ったもの」
バレンタイン当日の枕元にあったのは、愛するダーリンとでかでかとポップな書体で書かれたその下に俺の顔がプリントされたTシャツ。裏を返せば愛するハニーと書かれた下に愛子の顔。これを見たときには悶絶した。階段を降りると同じTシャツを着た妻の姿。大爆笑して沈んだ。
「あんたらさ!もういい歳なんだからいい加減、バレンタインとホワイトデーでイタさ勝負するの止めろよ!ふたりは楽しいんだろうけど、俺は寒くて仕方がないんだからな!」
イアフォンを外して息子が吠えた。これはもしかして…妻と二人で顔を見合わせてにやりと笑う。
「なんだなんだー寂しかったのかー?」
「もーそれならお母さんに言ってくれればよかったのに」
「「次の誕生日楽しみにして「おいてね」「おけよ」」
「いらんわ!」
息子はイアフォンをしてまた視線を画面に向けた。もう一度妻と顔を合わせてくすくす笑った。来月が楽しみだ。
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