プロローグ

1/2
152人が本棚に入れています
本棚に追加
/240ページ

プロローグ

 箱庭を月が照らしている。ここ、てい宿では百何十もの女たちが暮らしている。未就学児から老婆まで歳は幅広いが、女しかいない。加えててい宿は隠すように野山の奥に建てられているため、俗世から離れていた。  戸の隙間から月光が漏れてくる。少女が光の筋を目で追っていくと、空に満月が浮かんでいた。空に近いからか、月は塀の向こうにあるとは思えない程大きかった。  少女が月につられるようにして布団から這い出てきた。齢十の、碧緒(たまお)という名の少女である。碧緒は頭を合わせて寝ている他の子らに気づかれないように、足音を忍ばせて外へ出た。  空気は冷えている。息が凍って白く見える程に。しかし不思議と寒さは感じなかった。  こつん、こつんと、ひっかけた下駄で飛び石を踏み鳴らし、目的もなく歩いた。  こん、こん、かん。松や梅や桜や藤、紅葉や銀杏と様々な木を横切って行く。  あそこへ行こう。  ふいに思い立って、碧緒はくるりと方向を変え、庭に設けられた小さな林に入って行った。  葉が深く、青い。葉を落として線だけを天に伸ばしている木もあるが、そういう木には不思議と蔦が這い、宿木がぽつぽつと群を作っていた。  このまま小さな林を抜けると水路がある。碧緒はそこが好きだった。水路に掛けられた青い橋から見下ろし、せせらぎを見つめるのが好きだった。眠れぬ夜はよく、そこで水面に映る月を見つめた。  群青だった視界が開けると、碧緒は驚いて息を止めた。  落っこちそうな程大きな月が自分を見つめていた。しかし月に驚かされたわけではない。月を背に、誰かがそこに立っていたからである。
/240ページ

最初のコメントを投稿しよう!