まつわる噺

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まつわる噺

青だ。 信号は「進め」を示していた。 いや、法律的には「進んでも良い」が正しい。 とにかく男は自身に「自分に瑕疵は無い」と信じ込ませるように心の中で何度も反芻し、うつむき脂汗を流していた。 人を撥ねた。 田舎道だと思って油断していた。周囲に遮蔽物がないのでスピードを出し過ぎていた。夜中なので視界が狭かった。 言い訳はいくらでも湧いてくるが、撥ねた事実を飲み込むには数分の時間が必要だった。 しかも自分の眼が確かならば、撥ねたのは子供だ。一瞬だったが女の子だったと、脳裏にはっきりと焼き付いていた。男はスカートの女の子を撥ねる瞬間、その子と目が合っていたのだ。 恐怖が男を支配していた。運転席で体が震え、顔面から血の気が引いていくのが理解できる。体が芯から冷えるようだった。 シートベルトを外し、足取りも覚束(おぼつか)なく運転席から這い出ると、恐る恐る撥ね飛ばした子の元へ近づく。ヘッドライトが照らし出す道には細かい蟲が飛び交っていた。そして事実を突きつけられた。子供が、女の子が、しっかりと、倒れていた。 「ああ……ぅおぁ……」 男は嗚咽を漏らす。目の前がぼやけていた。一輪の月を山は吐き出し、星はそれを追い回る。時間の感覚がおかしい。無論、子供はピクリとも動かない。崩れ落ちた。心も体も崩れ落ちた。 「……あ」 男は(ようや)く、通報、という手段が脳裏に浮かんだ。手を震わせながら携帯電話を操作しようとする。した。 ボンネットが男の瞳に映った。 一切へこんでいない。 あれだけ大きな音がしたのに、ボンネットにはへこみはおろか、傷ひとつ無かった。 男の心に悪意が湧き上がる。 幸いこの丑三つ時に近い時間。対向車も追い抜いて行った車も、今のところ一台もない。ただの一台もだ。 血の引ききった唇の端が上がる。 慌てて運転席に戻り、アクセルを踏み込もうとした、その瞬間だった。 助手席にいた。 先ほど道端に倒れていた女の子が助手席にいた。 「アナタ ハ ワルイ ヒトダネ」 男は絶句した。 対の様に女の子は、ニタリと笑う。
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